愛しいカンケイ
続けることの魅力

【2010.11.25 Thursday 06:05
 日、月、年の巡り、
どれも大切なものではありますけれど、
年の巡りほど目に見えやすいものはありません。

はい、去年も同じころに書かせていただいた、
Hula O Na Keiki、マウイ島で行われる
子どものためのソロ部門のフラの競技会、
無事に今年も終了いたしました。

去年、レポート形式に書かせていただいたので、
今年はさらっと、年の巡りの確認程度ですが、
私はなんともうれしいのです。
というのも、空色庵で一年を確認できたのですから!


アウアナ(現代のフラ)の出番を待つ間に!
今年はハワイの青空をテーマにした衣装


わかりやすいのは大人の成長ではなく、
子どもの成長、ということで、
去年の写真とくらべてみてくださいね。

今年もハルノちゃん、がんばりました。
ハワイ語を流暢に話すハワイの子どもたちに囲まれて、
オリ(詠唱)部門で一位と一点差の二位!
大健闘でした。

去年の経験をいかす、という点では、
私たち大人も、子どもたちも最高得点だったと思います。

娘のアイナも、また応援にひとふんばり、
応援しているのに、私に説教されることもありましたが、
物事なんでも経験、経験、
彼女のまわりにある物事を全部積極的に受け入れて
ぐんぐん成長していってほしいもの。
そうあってくれれば、ママの私もなぜか男泣きです。


アイナとフラシスターで親友、そしてクム・フラとなったカウイの娘たち
去年は現在9ヶ月のベイビーはいませんでした!

今回、この競技会は20周年でした。

20年とは、この競技会で
ミス&ミスター・フラ・オ・ナー・ケイキとなった子どもたちが
クム・フラとなってハーラウを率い、
またこの競技会に参加するということがかなうわけです。

昨年、じっくり書かせていただいたので、
読者のみなさま、きっと、
競技会って、ただ出場するだけではなくって、
何十人もの人の手によって、
一年ほどの月日をかけて仕上げるプロジェクトであることは
なんとなく感じていただいていると思います。



このパラパライとリコ・レフアのレイも、
私たちのクム・フラであったアンティ・ケアラの生徒であり、
現在はハワイ島のクム・フラ、アンティ・ラニの力作。

クム・フラ、ダンサー、ホオ・パア(詠唱を行う人)、
ミュージシャン、レイの作り手、衣装の作り手、
楽器の作り手、ハーラウのダンサーたち、家族、友人、
競技会に参加するための様々なことをサポートする人々の手作業。

これが、本当に煌めくようなものなんですね。

私は今年、またホオ・パアをさせていただきましたが、
去年の経験を生かすどころか、
去年の経験はどこにいったんだと疑問がわくほど、
新しい経験、学びの連続でした。


私とクム・フラのカウイとジュンコママ

日本にいるジュンコ・ママとのチャンティング(詠唱)は
一人よりも二人の強さを突き詰めるよい体験。

アンティ・ケアラが、私たちにいつも教えたのは、
「一人で踊れる、一人で謡えるように強くなりなさい。
そして、それと同じだけ、
チームの一人として強さを発揮しなさい。
この違う二つのことができる人になれるように努力しなさい」

今回、それが少しはできるようになったかな、と
思っています。(まだまだだけど!)
まずは自分を褒めてからはじめないとね!

私はこれからハワイ島とオアフ島に出張です。
戻ってきたら、師走ですよ〜。

空色庵での年越しの準備していきたいと思ってます。

最後に今回の記念写真をパチリ!



左から、カポノ(今回、私のイプヘケの緊急修理を
快く引き受けてくれました。有名なチャンターなんですよ。
ミュージックを担当した私たちのフラシスター、カウイの従姉妹でもある
カノエのだんなさま)、キモ(ミュージシャン、カウイのだんなさま)、
カノエ(チャンター、ダンサー、ミュージシャン)、ハルノ、アイナ、私、
ジュンコ・ママ、カウイ、レア(カウイのお兄さん、ミュージシャンでダンサー)、
メル(レアのおくさま、ダンサー)、ちびっこはレアとメルの息子のノア
もっともっとたくさんの人が関わりましたが、
まずはご報告までに!







author : jingujiai
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A HULA DRAMA "KAHEKILI" in JAPAN !!

【2010.10.20 Wednesday 15:50
 港、空港、駅、
人々の想いが重なり合う場所、
私はそれがとても好きで、時々、とても嫌いです。

今朝、マウイ島カフルイ空港から、
一年かけて関わったプロジェクトチームを
無事に送り出しました。

A HULA DRAMA「KAHEKILI(カヘキリ)」、
この舞台を、この想いを、マウイ島から
日本の皆さんにお届けすることができることに
感謝の気持ちでいっぱいです。



みなさま、22日、23日に東京JCBホールで公演、
 A HULA DRAMA「KAHEKILI」、
是非、足を運んでくださいね!

日本は近年、ハワイアン・エンターテイメントが大人気、
フラやハワイアン・ミュージックの流行と相まって、
様々なイベントが日本各地で頻繁に行われています。

ただ、ほとんどが、ミュージック・コンサートや
フラのパフォーマンスであったりするなか、
この「KAHEKILI」はフラ・ドラマというスタイルで、
フラやチャント(詠唱)などを取り入れながら、
「物語」を展開するところが見どころです。



どんな物語か、少しお話をしますね。

「KAHEKILI(カヘキリ)」とは、
マウイ島の王家に生まれ、1765年に実兄の跡を継ぎ、
マウイヌイアカマと呼ばれるマウイ島、ラナイ島、
モロカイ島、カホオラヴェ島を支配、
1793年に亡くなるまでの間にオアフ島をも制圧して、
後のハワイ王国建国の礎を作ったと言われる人物。

カヘキリとはハワイ語で「雷」、
名のごとく、存在を轟かせた偉大な王さま、
その姿は身長二メートル、体重百五十キロ、
半身が影と見まがうかのような
刺青に覆われていたことでも知られています。

私の住むワイルクは彼が居を構えていたため、
戦いの場ともなり、憩いの場ともなり、
そして神さまを崇める社もあった場所。

今回のプロジェクトに関わるなかで一番面白かったのは、
地元の歴史を知ることができたことでしょう。



「KAHEKILI」を日本へ、
初公演を観たときから思っていました。

好き嫌いのはっきりしている私にとって、
フラが好きだからフラのパフォーマンスを観る、
ハワイアン・ミュージックが好きだからコンサートに行く、
ということはなく、このフラを観たい、
この音楽を聞きたい、が主流。

そんななか、数年前にアンティ・ケアラの親友の、
アンティ・ホークーこと、ホークーラニ・ホルトさんが
総監督をつとめた舞台を観に行ってみよう、

カヘキリは昔のマウイの王さまだし、と軽い気持ちで
観に行ったのがこの舞台でした。  
 
一瞬にして、吹き飛びましたね。

目隠しをされたまま、
嵐のなかに放り出されたような気がしました。

五年ほど前ですから、私のハワイ語もまだまだ、
歴史の知識も少なく、古典的な踊りの様式、
また伝統的な儀式や武術の数々、生活習慣など、
舞台の上には私の知らない世界が広がり続け、
食い入るようにそれを眺めていたのを覚えています。



その私が、「KAHEKILI」を日本へ送り出すお手伝いが
できたのですから、時間と運命はすごいものです。

アンティ・ホークーは、
私の師であり、母でもあった
アンティ・ケアラが亡くなったあと、本当に力強く、
私たちを支えてくれました。

今回、その恩返しの一つになればよいとはじめた
「KAHEKILI」日本ツアーのプロジェクトは、
結果的に実行に一年間かかりました。

しかし、時間は私たちに様々な学ぶ機会をくれたのです。

まず、私は今回はじめて
劇場字幕を担当させてもらいました!
また、「KAHEKILI」を実際に観たことのある私にと、
新聞や雑誌に劇評を書くお仕事も
たくさんさせていただきました。

劇評を書くという作業は、
私にとって少し特別でした。

というのも、私が出版、執筆などの仕事に興味をもったのは、
大学時代に尊敬していたイギリス演劇が専門の教授に、
俳優座で行われた劇の劇評を書くチャンスをもらったことが
きっかけだったからです。

そのとき書いた劇評は今から考えると
経験不足で稚拙なものだったのでしょうが、
私を信頼してくださった教授が原稿の出来に満足、
それがうれしくて、「書いた」という記憶が
いつまでも残っているというわけです。

誰でも初めてのときというものがあるんですよね。

今回、この「KAHEKILI」がみなさんの初めてになれば、
と心から思います。

「フラのことも、ハワイの歴史も知らない、そんなお客様が、
ああ観て良かったといってくださる舞台を作りたい」
アンティ・ホークーはそう言っていました。

それが芸術なんだろうな、と
私はそれを聞いて思わず頷いたものです。

そして先週末、最終舞台リハーサルに行った私は、
それを再確認しました。



どこかで聞き覚えのある、厳しい指示を飛ばしながら、
アンティ・ホークーが作品のエッジを磨いていきます。



舞台には、ケアリイ・レイシャルをはじめとする、
日本でも大人気のミュージシャンやクム・フラ、
ポリネシア最大のフラの競技会メリーモナークで優勝した
ダンサーたちの顔が並びます。



彼らは、アンティ・ホークーのもとに、
マウイ島でハワイの文化を学び、継承する一人のダンサーとして、
群舞のなかで踊るのです。

その姿は、学び続けることの意味深さを、
何よりも訴えかけてきました。

「カヘキリというマウイ島の王たる人物が
ハワイの歴史として、いつまでも人々に愛されるように」
との願いのもとに作り出された作品であることはもちろんですが、
私はそこにマウイ島の人々の強い意思を感じます。

マウイ島には悠久の神聖なる王たち、王家の人々がいる、
彼らの存在を歴史の荒波が打ち消そうとも、
私たちは自分たちの祖を忘れはしないと。

その誇りを、その熱き想いをこの舞台に,

Eo Kahekilinuiahumanu !

カヘキリヌイアフマヌに栄光あれ、と。


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「KAHEKILI」の舞台のことは、
こちらのウェブサイトに詳しく紹介していますので、
興味のある方は、読んでみてください。
author : jingujiai
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「ただいま、帰りました」

【2010.10.07 Thursday 15:49
 大変ご無沙汰しておりました。

空色庵の庵主でありながら、主は何処へ、
数ヶ月のお暇をいただいてしまいました。
みなさま、ごめんなさい。
そしてありがとうございます。

マウイ島にもようやくやってきた秋の気配。
ハワイの人々がマカヒキと呼ぶ、平和と豊穣の季節、
いままでの戦いや労働を休み、動から静へ、
エネルギーの質の転換期ですね。


 マウイ島ホオキパの波も秋の気配です。

やっと、私も空色庵に戻ってこられました。
今日は、いままでの無精のお詫びの気持ちをこめて、
私の居間の掃除をさせてもらい、
庵を取り仕切ってくれている空色庵の住人の部屋に
ご無沙汰の挨拶にと思っています。

私の数ヶ月の成果とは、一言でいうと、
「また初めからやってみよう」の実現でした。

四、五年ほど前からあった違和感に、去年の夏以降、
私なりに取り組み、今年の春から一歩、一歩。
初めからやってみることは、何でも大変です、
歩いたことのない道ですからね。

道を歩く勇気をくれたのは、家族と友人、
 有り難さが心に染みます。


椰子の木の木陰に集まれば…… @Lahaina in Maui

十代、二十代の私だったら、違和感の数秒後には、    
すでに「初めから」に向かっていたのですが、
三十代の私は、違和感に対して長期戦でした。

必然、Things happen for reasons

長期戦も最高でした。


私より私を知ってるときのある長い付き合いの仲間たち in Oahu


さて、「初めから」のはじまりですが、
いまやっと基礎の基礎ができてきた感じです。

その間、家族や友人たちとの絆を
改めて確認するよい機会に恵まれました。

心の距離は物理的な距離を超えるということや、
私のしでかすことを叱咤激励しながら
丸ごと受け止めてくれる関係。

どんなときも、どんな私も愛してくれる
家族と友人のためにも私らしく生きていこうと思ったこと。 
 
愛しいカンケイ、ですね。


ハレアカラの山頂でBeautiful Life祈願


親友の愛息子と恋人の誓い? 私みたいなのに、将来ひっかかるなよ〜

春から夏へと時が巡り、
家族の絆が引き締まった夏の終わりの九月、
(私の家族の意味合いは広いのですが……)
「初めから」の基礎の基礎工事が一段落したのは、
間違いなく愛しい友人たちのおかげでした。

彼らとの付き合いはかれこれ十五年、
変わっても、変わっても、変わっても変わらない部分で
付き合っていくことのできる友人たちです。

食べて、飲んで、喋って、笑って、泣いて、

海で泳いでいても、
山を歩いていても、
空を見上げていても、

都会の喧噪、人混みのなかでも、
美味しい料理とお酒を目の前に大騒ぎしても、
いいオトコ、いいオンナの当世事情があっても、

手を伸ばせばすぐ横にいる友人たちは、
ほかにはない、誰のものでもない、私の宝物です。


あたしたち、今何歳だっけ? @Ulupalakua in Maui

空色庵も、長く、長く、やっていければと思っています。

時間をかけて、変わらない部分を育てて、
いえいえ、ともに成長していければと思うのです。

母になって十年になりました。

自分の親としての年齢が、
目の前の子どもを通じて確認できるのは、面白いです。

それはまるで、書き手がふと、自分の昔の原稿のなかに、
いまと変わらない部分を見つけたときのように、
踊り手が、学びはじめたばかり踊り手たちのなかに、
昔の自分の姿を見たときのように。
目に見えない時間を目に見ることのできる、
そんなことのように思います。

時間をかけて、自分が成長していくなかで、
私の今の目標は、
「自分の後ろ姿を見せられるか?」です。

後ろ姿の美学でしょうかね、ふふふ。

ある日、娘とこんな会話がありました。

「大きくなったら、ママみたいになれるかなぁ」
「どういうこと?」

「ママみたいにきれいで、ママみたいに何でもできて、
ママみたいにママをして、ママみたいに……」

「……、あのさ、ママはそんなに何もできないでしょ、
まあ、一生懸命にやるけどさ、失敗して泣いたりさ、
悩み事をアイナに相談したりさ、
大概は大変だぁって大騒ぎしてるじゃん」

「そうだけど、アイナはママみたいになりたい。
なれるか心配だなぁ。
だってアイナはまだ車の運転もできないし、
アイナのお腹はママみたいに平らじゃないし、
おっぱいだって大きくなるのかなぁ」

「……、あのね、時間がたてばそうなるの。
それにさ、アイナはママなんかかなわないほどの
もっともっと素敵な人になると思うよ。
だってママは、アイナがママより素敵になるように
がんばっているんだもん」

娘はそこでポロリと涙をこぼしました。

そして、こう言いました。
「アイナはママみたいになりたいの。
ママより素敵にならなくていいの。
ただ、本当に、ママみたいになりたいだけなの」

私はその時点でもう目の前が何も見えないほどの涙で、
車の運転なんて危なくてできない状態、
車を止めて、涙をふいて、娘を抱きしめました。

「なるよ、なるよ、ママみたいになるよ」


たくさん食べて大きくなぁれ! @Hanalei in Kau'ai

子どもに言えないことをしない、だけが、
長い間、私の母としての決まり事だったのですが、
娘が成長すれば、母も成長しなくてはなりません。

やってやろうじゃないか、ということで、
その日から、後ろ姿の美学への追求がはじまりました。

そうやって、人は変化していきます。
新しい挑戦があり、「初めから」があり、
それによってつく傷を、固くて丈夫な皮膚にして、
太陽に灼けた砂浜を、ゴツゴツと荒い岩の広原を、
一歩一歩歩いていくのかもしれません。

空色庵は、そんな毎日を癒す場所であり、
そんな旅から帰ってきた日に
「ただいま」をいう場所でありたいと思っています。

「ただいま、帰りました」と。
author : jingujiai
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言葉ってスゴイモノ

【2010.04.24 Saturday 07:20

 言葉ってスゴイモノだって気がついたのは
いったい、いつのことでしょう。

覚えているのは、小学校の五年生のとき、
言葉を使って伝えることの面白さにドキドキしたことくらい。

でも、正直、何にドキドキしたのかは定かではなく、
もしかすると、
美術館にある彫刻のように美人なのに、
恐ろしいほど神経質で、
生徒の前で笑顔をみせるのは数えるほどの担任の先生が、
私の書いた四百字ぽっちの母の日の作文に白い歯を見せ、
笑顔で誉めてくれたのがうれしかっただけなのかも。


ともあれ、薔薇のような笑みを浮かべる彫刻に、
わぁっ、きれい!と目を見張ったのと、
「すごくよく書けてる、先生はとても好き、
もっといろんなことを書いたらいいわ」と言ってくれたのを、
ドキドキしながら、ぼぉっと聞いていたのです。



以降、書くことは大好きな私、
生意気盛りの十代のころは、「書くことだけが言葉なんて!」と、
踊ってみたり、歌ってみたり、
思いつくことは何でもやってみました。

本当に何でもが、荒削りな言葉だったように思います。

そして、月日が流れ、
いまも十分に生意気に違いないワタクシは、
子育てとは、自分を見る作業だとひしひしと感じ、
日々痛い目にあっています。

いえいえ、学びをありがたく受け取り、成果として、
自分はあの五年生のときと大して変わらない
という事実に愕然としつつ、
子どもの成長はもとより、
自分の成長に一喜一憂しているわけです。

そんな親ですから、娘にとっての、
「言葉はスゴイモノなんだという発見」
を見逃したくはありません。

言葉は私たち自身。

私たちが、その想いを、魂の存在を伝えるために、
そしてそれらが呼応するために、
言葉があるのだと思っています。

言葉は時に、言語そのものへ、人間の肉体へ、
動へ、静へ、
目で見え、耳で聞こえ、
肌で感じ、舌で味わい、沸き立つ匂いへ
とカタチを変え、肉体の生と死にかかわらず、
伝え続けられていくもの。

抽象的に思われる方もいらっしゃるかもしれませんので、
ちょっと具体的に、言葉のカタチとして、
もっともわかりやすいかもしれないカタチ、
「言語」を例にとってみましょうね。

みなさんにとって一番身近な言語は日本語でしょう。
私も同じです。

普段の生活のなかで、日本語、英語、ハワイ語を使いますが、
もっとも愛しているのはもちろん母語の日本語。
言葉を自分により近いカタチであらわすためには、
母語であっても、学び続けるべきだと思っています。

地球上にはいろいろな種類の言語があります。
それを考えると、第二、第三と、
できるだけ多くの言語に携わることで、
私たちの言葉は伝わりやすくなり、呼応されやすくもなり、
そこに芽生えるものも増えるに違いありません。

となれば、がんばるぞ、と、
英語とハワイ語に取り組むなか、
不思議なことに、英語はいつまでたっても道具的存在。
くらべて、ハワイ語は少しずつ
愛しき言葉のカタチになってきています。

なぜなのでしょうか。

それは、言語の源である文化への親しみの度合いが
原因のような気がしてなりません。

先日、数日間に渡って、毎日午後3時半から4時半まで、
ハワイ州の教育委員会のオフィスの前で、
私たちはラリーを行いました。



プーナナ・レオ・オ・マウイとクラ・カイアプニ
教師、生徒、父兄、卒業生、関係者などが続々と集まった
この抗議運動は話題になり、新聞、テレビなどに報道され、
抗議をうけた教育委員会が、いま議題を検討中です。

ハワイ州の各島にあるクラ・カイアプニは、
公立の学校に付随し、その運営システムを共用しながら、
OHA(Office of Hawaiian Affairs)という
ハワイ人の人々のための活動を行う事務局や、
クラ・カイアプニの父兄によって運営される
非営利団体ナー・レオ・カーコウとともに、
ハワイ語で子どもたちを教育する機関。

今回の出来事は、クラ・カイアプニが付随している
公立のパーイア小学校が、クラ・カイアプニに入学を希望する
35人の生徒を学校経営や教育委員会の諸事情で、
検討することなく、20人までしか受け入れようとせず、
さらに20人を選ぶために抽選をおこなおうとしたことに
対する厳重な抗議でした。



小さな数字に思う方もいるかもしれませんが、
私たちにとっては大きな数字。

教育委員会のあるワイルクの町の交差点は、人だかり、
ラリーを応援する人の車が一斉にならすクラクションは
ラリーを行った一時間、途切れることはなく、
子どもたちの声、歌、パフ(ドラム)でならす音とともに
町中に響き渡ったのです。





ハワイ語が衰退した大きな原因はいくつかあります。

ひとつは、1778年のジェームズ・クック船長の来航で、
ハワイが西欧文化に発見されたこと。

外来者によってもたらされたのは、先住民の人口、
1778年の推定30万人から、1892年の4万人への激減。
伝染病の猛威、外来者によって1848年に成立された
土地分配法によって経済的基盤を失ったことが主でしょうが、
文化を大きく乱されたことで多くのハワイの人々が
心理的に衰え、家族の絆が引き裂かれたことは
言うまでもありません。

ふたつめは、近代化を急ぎすぎたこと。

これはハワイに限らず、その時代の多くの国で起きた出来事で、
国家を統一することを重視しすぎたために、
有力民族語の教育に意識が行き届いていなかった
という事実です。

みっつめは、1893年にハワイ王国はクーデターによって転覆、
米国によって併合されたという歴史でしょう。

転覆後、ハワイ共和国となったハワイでは、
共和国政府を統率するサンフォード・ドールによって、
1896年に英語が公用語となり、
その後、ハワイ語を教育言語とする学校は全て閉鎖。

ハワイ語を校内で話すものには、
体罰があったという記録もあるほどで、
結果、1983年ごろの調査では
18歳以下でハワイ語が話せる子どもは
約30人程度となってしまっていたのです。

しかし、1970年代にハワイ文化復興運動がはじまり、
その数年後にハワイ語は英語とともに州の公用語へ。
1980年代にはハワイ語で子どもを教育するプログラムが発足し、
プーナナ・レオ、クラ・カイアプニという学校が創立されました。

現在、毎年州内で1500人規模の卒業生を輩出しています。
卒業するには、入学しなくてはならないのですから、
小学校入学への規制は断固防がなくてはなりません。



母語の大切さ、言語の源である文化の重要性は、
日本人である私には、十二分に理解できます。
正しいと思うことをする、何が正しいかを教える、
それが母の務めですからね。

言葉をカタチにするときの、もっとも身近な存在である言語。
そして、言語はただの音声でも、表記でもなく、
源からほとぼしるものであることを、伝えたいと思うのです。



限りある私が、限りある状態しか伝えることのできない
日本語への愛を、
ハワイ語という言語をじっくり学ぶことによって、いつの日か、
「言葉ってスゴイモノじゃない!」って気がついてくれたら、
母はうれしいのであります。

I ka ‘olelo no ke ola, i ka ‘olelo no ka make.

言葉に命を!
命を吹き込まなくては、失ってしまうから!

author : jingujiai
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森へ、森へ、太陽の家のある森へ

【2010.03.30 Tuesday 06:30

太陽の家のある森のなかへ、足を進めていくと……

と聞くと、やわらかいソファに体を沈めて、
布製の背表紙のついた本の、古い紙の匂いのする一ページ目を
読みはじめたような気分になりませんか?

ちょっとみなさまにご無沙汰してしまったワタクシ、
つもる話は山のようにあるのですが、
まずおすそ分けしたいのは、太陽の家のある森の物語。


太陽の家のある森は水を湛えた豊かな森

さて、雲をつかむような話ではあります、
ええ、本当に雲をつかめるほどの高さなのですよ、そこは。

マウイ島のハレアカラー、
ハワイ語では、Hale a ka la(ハレ・ア・カ・ラー)、
ハレとは家、ラーとは太陽、ということで、「太陽の家」。

ハレアカラーはマウイ島の最高峰、Pu'u 'ula'ula(プウ・ウラウラ)
「赤い丘」と呼ばれる頂は10023ft、つまり3055mの標高。
雲を上から見下ろす高さです。

132の島々からなるハワイ諸島のなかの主要8島といえば、
上からカウアイ、ニイハウ、オアフ、モロカイ、ラナイ、
カホオラヴェ、マウイ、ハワイ(ビッグアイランド)をさすようですが、
この順番は実は、島の年齢を上から読みあげたもの。

余談ですけれど、モロカイ、ラナイ、マウイ、カホオラヴェは
地図をみるととても近いのがわかると思いますが、
以前は大きなひとつの島だったことから、
この島々をまとめてマウイ・ヌイ(大きなマウイ)と呼び、
現在のマウイ郡としてひとつのまとまりです。

マウイ島は、いまだに火山活動の激しいハワイ島の次に若い島、
1790年の最後の噴火以降、火山活動は認められず
休火山となり、現在に至っています。

島の名前に唯一、古代の神さまの名前がついているマウイ島、
マーウイという半神の伝説は、
太陽の家ととても深い結びつきがあるのです。

数限りなくあるマーウイの伝説のなかで、
ハレアカラーが登場するのは、マーウイのお母さんの
ヒナ・ア・ケアヒがカパという布を作るときに、
乾かすための時間が足りないから、
ハレアカラーに住むマーウイのおばあちゃんであるマフイエに、
太陽が早く沈まないようにするにはどうしたらいいのかを
相談に行く場面。

マフイエはマーウイに特別な手斧(ちょうな)と縄を渡し、
彼女の家の近くの古いヴィリヴィリの木の根元に隠れ、
噴火口の一番東に太陽が現れたら、縄を投げて
太陽の足を捕まえるように言い渡すのです。

マーウイはおばあちゃんの言った通りにしたので、
太陽に縄をひっかけることができました。
太陽は逃げまどって、海に戻ろうともしましたが、
マーウイは自分が隠れていたヴィリヴィリの木に
縄の反対がわをしっかりと結びつけてしまいます。

そして暴れる太陽と手斧で戦ったのです。
手斧で痛めつけられた太陽の足は弱くなり、
とうとう太陽はマーウイの言うことを聞くことになりました。

ちょっと太陽の足の怪我が心配にはなりますが、
この戦いがなければ、いまのように太陽がしっかりと大地を
照らさなかったのですから、マーウイと太陽に感謝し、
太陽の住む家を居心地のよいものに
しておかないといけないですよね。

その太陽の住む家のある森は、現在国立公園となり、
固有の自然がかなりしっかりと守られています。
私が今回入らせていただいた森も、
国立公園のパーク・レンジャーの同行がなくては
決して入ることのできないエリアなのです。


森のなかは、海のなかに似ています

どうして、私が入ったのかというと、
マウイ・フォレスト・バード・リカバリー・プロジェクトの一環。
固有の植物、動物を育てて森を守ろうという活動です。

ハワイは1778年のイギリス人ジェームズ・クックの来航までは、
人の出入り、物流はカヌーのみで行われていたため、
固有の自然体系や人間を含む動物の生態系が乱れることは
ほとんどなかったのです。

しかし、太平洋の真ん中にあるハワイは、
太平洋を渡って何かをしたい人間たちにとって
好都合な場所にありすぎました。

1778年以降、あらん限りの出来事が起こり、
人と物が行き来するようになり、現在にいたっているのです。
それはまるでバランスを失った天秤のように。

天秤が揺れれば押さえる手が必要、
その手は一本でも多いほうがいい。

そして今回、標高の高い場所にも関わらず、
私たちは子どもたちをつれて入ることにしました。

普段は河口を掃除し、木を植える活動にのみに参加する
クラ・カイアプニの子どもたちに、
太陽の家のある森に暮らす鳥たちを見せてあげたかったのです。

森に入る私たちはまず、衣類や靴をすべてブラシではたきます。
  
森の入り口にたち、全員が輪になって祈り、
森に入ることをお願いするためのチャント(詞)を唱えました。

風と鳥の鳴き声を合図に、森へ。


固有植物の木を植えて強い森に!

約150の固有の鳥類を保護し、
森を守る国立公園のパーク・レンジャーとともに、
プロジェクトが行った植林の成果を確認に向かいます。

この森は人間が持ち込んだ家畜、特に山羊の被害と、
外来種の植物がもたらす害を受けて、
一度はもう植物が育たないかのように思われていました。

しかし、国立公園と、国立公園以前の地主であった
ハレアカラ牧場の努力によって、保護区域を囲むフェンスが
10年もかけて張り巡らされ、家畜の害を防ぐことに成功しました。

そして、その後ハワイ州の森林保護部門やハワイ大学、
そして私たちのような民間団体のもと、
植物、鳥類、昆虫類などをリサーチし、保護し、
手をかけ、森が蘇るのを助けているのです。

特に鳥類は人によって運ばれてきた蚊の被害をうけ、
絶滅品種も数多く、いまも細心の注意がはらわれています。

「I'iwiが鳴いた!」

まるで花のように美しい赤い鳥、I'iwi(イイヴィ)は、
さえずりが、「イイヴィ、イイヴィ」と聞こえるため、
子どもたちはすぐに反応します。

「静かにしていないと、姿が見られないのよ」
「……、……」
「イイヴィ、イイヴィ」
「あ!!」
「しぃーーーっ!」


赤いレフアの花にたたずむI'iwi
(C) JackJeffreyphoto.com

森のなかで静かに佇めば、鳥たちは木々を渡ります。
目を凝らせば、'Akohekohe(アコヘコヘ)も。


スタイリッシュ!?なヘアスタイルですよね
(C) Eric Narashima


アコヘコヘのくちばしの上のふんわりとした羽毛は
蜜を吸うときに花から花へと花粉を運ぶ役目があるとか、
まる蝶や蜂のようですよね。

余談ですが、ハワイの文化のなかで、
鳥は男性を、花は女性を象徴することが多いのです。
ですから、このように花の蜜を吸う鳥が多いことに
うなずいてしまいます。

子どもたちは標高2000メートル以上の高さの山中を
本当によく歩きました。



森のなかを歩きながら、私が想いつづけたのは、
南アに住む、私の姉的存在の友人、
吉村峰子さんの夫、稔さんのことでした。

4月13日、稔さんは亡くなりました。

私を含む、稔さんを知る人々はみな、
彼のことを絶対に死なない人間だ
と思っていたに違いありません。

JICAに勤務し、長年のアフリカ勤務のなかで、
どんな危険な任務も全うし、たくさんの人間の命を守り、
自分も必ず戻ってきた稔さんは、
私が知っている日本人のなかで一番強い人でした。

そんな稔さんに、峰子さんは、
「もうっ、稔は!」とお説教が日常茶飯事。

でも、私からみると、こんなにそっくりな夫婦はいない、
と思えるほどの二人でした。
そして、二人の子どもたち、
息子も、娘も、両親を鏡に映したような存在。

娘のショウコちゃんは、自分もつらいであろう、
お父さんの事故確認の直後、私にすぐ連絡をくれました。

「お父さんは愛ちゃんが本当に好きだったのよ。
だって、お母さんはどんなときだって、
愛ちゃんと話をするとHappyになったから。
お母さんを幸せにしてくれる愛ちゃんに
お父さんはとても感謝していたの」

私は泣きに泣きました。
しかも大声で。

森は私の心中をしっていたかのように、
絞りきった布切れのようになった私の心を
霧雨のような恵みの水でぬらし、洗っていきます。


樹齢1500歳のオヒアの木、
溶岩台地に一番はじめに生える、パイオニア・ツリー


すべての生きとし生けるものが眩いほどの命を見せる、
山や海のなかで、私はいつも目を瞑ります。

すると私の体はまるでアウトラインをなくしたかのように
それらと溶け合っていくのです。

自然の大好きだった稔さんは、
きっとこうやって自分の魂をいつも確認していたんだろうな。

神さまに愛されすぎた、類まれな魂は、
きっと次の任務をまっとうするために、
神さまの瞬きを合図に飛び立っていったのかもしれない。

そう思った途端、胸の痛みは引いていきました。

準備をしなくてはいけない、
姉をHappyにするために。
妹はいつだって、姉を幸せにする、
姉妹は助け合うのが当たり前なのだから。

森をでると、椰子の実がゴロリ。
「稔さんからの差し入れかも」とつぶやく私の横で、
娘は飲みたい、食べたい、で大騒ぎ。



また森にお世話になってしましました。

どうもありがとうの気持ちをこめて、
毎日ひとつ、森への恩返しを
私たちの行動で見せていくこと。

それが我が家の日課です。
 

author : jingujiai
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待ち時間

【2010.02.18 Thursday 04:31

 「待っています」

芸人、職人の家の血が
脈々と受け継がれていることは間違いなし、
とばかりに気が短いワタクシ、
今、ただひたすら、待つことに専念しております。


待つ時間に何をしようかな

大おじいちゃんがちゃぶ台をひっくり返さないように、
大おばあちゃんが煙管を投げないように、
が合言葉だった我が家で、
子ども時代に情緒教育がほどこされたのでしょうか(笑)。

しかし、親方が目に入れても痛くないという孫娘である私は、
大おばあちゃんやおじいちゃんたちの短気に困った覚えはなく、
もっぱら、「おじいちゃんにこう言っておくれ」とか、
「親方は今日どう?」と聞かれるばかりでした。

母には、「あなたはおじいちゃんやお父さんにそっくり、
短気は損気よ、直しなさい」と言われるようになり、
父方の家を強くひいて成長してしまった私ですが、
今は娘に、「ゆっくりやりなさい、じっくり考えればできるから」
と繰り返す母親になったというわけです。

有難いことに、母親になると短気はかなり影をひそめ、
気を長くして物事に取り組むことができるように
なった気がします。(気がするだけ)


子育ては気が長くなるトレーニング?


きっと、少しは、
待つことが楽しめるようになったんですね。

二十代半ば過ぎの働き盛りの私の周りには、
当時誰一人妊婦もおらず、
幼子をかかえたママもいなかったのですが、
いま、三十代半ば過ぎ、母親になって9年、
母になったことは、本当によかったと思います。

恋愛と子育ては、間違いなく、私を成長させてくれますから。

愛することから学ぶことは多いのです……。

さて、前置きが長くなりましたが、

私は今、待っているのです。

携帯電話の音量を最大にして、眠るときも電話は枕元、
ふっふっふ、何を待っていると思いますか?
なんと、赤ちゃんなのですよ〜。

もう、子宮の入り口が3cm開いており、
いつ赤ちゃんが生まれてもおかしくないのです。

私の赤ちゃんと言いたいくらいですが、
残念ながら、私のではなく、
親友でありフラ・シスターであるカウイの赤ちゃん。

「陣痛がはじまったらすぐ連絡するからね」と、
今、陣痛待ちというわけです。

カウイのダンナさまであり、赤ちゃんのパパであるキモは、
仕事先が私たちの住むワイルクよりも離れたところであるため、
子宮が3cm開いたというだけで、「愛に電話して」と大騒ぎ。
のんびりしているのは赤ちゃんと、
三回目の出産となるカウイだけ。


女性に生まれて本当によかった

カウイの二番目の娘、アウリイが生まれたときは、
まだ二歳のなったばかりの一番目の娘のフラリと
生まれたばかりのアウリイを抱えて、カウイと私は、
毎晩ショウで踊っていました。

あまりに赤ちゃんを抱っこしすぎた私、
自分の子どもではないのに、母乳がでてしまったくらい。
乳母体質かもしれません。(笑)

そんな類の体を持つ私がカウイの赤ちゃんを待つ具合、
みなさん、想像できますよね!
もちろん、私の娘のアイナもそわそわしながら学校へ。
「妹が生まれてくる」というわけで、
自分が学校にいるときに生まれたらどうしよう、
と心配なのです。

「待つ」って、……ツライですね。
と、言っている間に、短気が出てこないように、
気分を他のことに集中させないといけません。

たとえば、今週末に企画されたベイビー・シャワー!

ベイビー・シャワーとは、
生まれてくる赤ちゃんとママのためのお祝い、
家族や親しい友人が集まって、楽しく食事をし、
赤ちゃんとママが必要なものを贈ったりするパーティ。

がんばって生んでね、
みんなで赤ちゃんを待っているからね、
というメッセージを送るためです。

足踏みして待つ間に、パーティのテーブルの上に飾る
ディスプレイを作ったり、パーティでするゲームの準備をしたり、
待っている間にできることはいっぱいあります。


カウイのベイビー・シャワーのテーマ・カラーはピンク&ブラウン

愛する気持ちを体のすみずみにいきわたらせながら、
手足を動かし、心を弾ませて、準備を整えること。
そう考えると、待つことも楽しくなってきます。

愛するもののために待つなら、
それはとっておきの愛しい時間。

待つことは、準備をすることかもしれません。

author : jingujiai
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旅ゴコロの満たし方・その1

【2010.01.29 Friday 04:40

マウイ島は世界中の人々に愛される観光地、
コンデナスト・トラベラーなどの名だたる旅行専門誌で
ベスト・アイランド・オブ・ザ・ワールドを受賞し続ける、
タイトル保持者であります。

「マウイ島に住んでいると旅行に行きたくなんてならないでしょ」
「どこで休暇を過ごすの?」
などと言われることも多いもの。

確かに、マウイ島の人々の定番のジョークのひとつとして、
「夏休みどうするの?」
「しっかりバケーションを楽しむつもりだよ!」
「えっ、どこいくの?」
「マウイ島」
「……」
という、ちょっと気が抜ける会話があります。

さて、ワタクシはと云えば、
一般的に人々が訪れることのできるハワイ州の島々、
オアフ島、ハワイ島、マウイ島、カウアイ島、モロカイ島、ラナイ島
の6つの島のなかでは間違いなく、
Maui no ka oi !(マウイ・ノ・カ・オイ/マウイ島が一番)と
言い切れるしょう。

で、次はカウアイ島!
なので、私の口癖といえば、
Maui no ka oi ! Kauai is the best !
と相成るわけです。

とはいえ、島間の行き来は、
マウイ島〜モロカイ島・ラナイ島間に船がでている以外、
ほとんどが飛行機での移動ですから、どこぞの大女優のように、
車に乗るがごとく、飛行機に乗るわけにはいきません。

ですから、私のカウアイ・LOVEは今度お話することにしまして、
マウイ島での私の旅ゴコロの満たし方をご紹介しますね。

その一・朝早く、家から離れて、自分時間のことを考えない!

クーラー・ボックスにお水と果物、コーン・チップスと
サルサ・ソースなどなど、お腹を満たせるものを詰め込み、
朝6時に家を出発。


見覚えのある犬?と思う方、正解です。ナナちゃんですよ!

朝ごはんから旅にでるのは一日を長く使えるコツです。

ベーカリーやカフェで恋人や友達と待ち合わせをするのもよし、
朝ごはんを買うか、焼きたてのパンなどを仕入れ、
コーヒーを片手に車を走らせ、朝一番の景色が楽しめるところへ。

今の季節、私がお気に入りなのは、
パイアやハイクの町で朝ごはんを買い、ノースショアの海岸、
もしくは海岸沿いの見晴らしのよい高台で、
プロフェッショナルなサーファーたちの見事な技を眺めること。


波って海のアート!

島の北側はいつも波がいいのですが、
冬の間は、太平洋の北方でおこるモンスーンの影響と、
風向きのおかげで、最高の波が運ばれてくるのです。
時にJAWSのような津波級の波が立ったり、
様々なサーフィンの大会が行われるのもこの時期、
世界中のプロフェッショナルが集まってきているのです。

今年はサーフィンを定期的にやっていこう、と思っている私、
ふっふっふ、まずはイメージ・トレーニング……。
いまだ、イメージのみしかトレーニングされておりませんが、
うーむ、今年こそ、サーフ・ボードにはりつくカメを脱して、
ボードを華麗にあやつるようになるのだ!

さておき、

朝ごはんをパノラマ・ビューのサーフ・シーンとともに終え、
次はハイキングといきますか!

「体を動かせば、心も動く」が信条のワタクシ、
体を動かすのは大好きです。

誰にでも簡単にできる体の動かし方といったら、まずは歩くこと。
マウイ島にはいくつものハイキング・コースがあり、
スニーカーひとつでかなり楽しめます。

ノースショアの方面ですと、
Waikamoi Ridge Loop(ワイカモイ・リッジ・ループ)、
Keanae Arboretum(ケアナエ森林公園)がおすすめ。

ワイカモイの方は、尾根を登る1時間くらいのコース、
尾根からの見晴らしがよく、映画「ジェラシック・パーク」の
ロケにも使われたという崖と、溶岩の流れを感じることのできる
美しい島の輪郭を海の色とともに味わえるのです。


島の北側の表情を堪能! 日本海側でございます〜

初心者ハイカーや家族連れにオススメの理由は、
このコースは尾根を登りきったところに、
ランチが楽しめ、子どもが走り回れる草原があること。
そして、風通しがいいので、蚊が少ないことです。

ケアナエの方は、ハワイの植生が堪能できるコースで
気分はトロピカル・ジャングル・クルーズ!

赤いトーチ・ジンジャーなどに眼を奪われつつも、
私がみなさんにご紹介したいのは、地元の人々がもっとも好む
白やクリーム色の香りの高いジンジャーです。

先日、私のハーナイ・ママであるジュンコ・ママが率いる
フラ・ハーラウ、ナー・プア・リコ・ヴァイ・ホオラの10歳の
女の子が三月に日本で行われるフラ・コンペティションの
トレーニングのためにやってきましたが、
私が彼女に経験してほしかったのは、クリーム色のジンジャー。

‘Awapuhi melemele(アワプヒ・メレメレ)と呼ばれる
芳香を放つこのジンジャーは、たくさんのハワイアン・ソングに
登場して、ミュージシャン、ダンサー、歌を楽しむ人々すべてに
愛されている花です。

ナー・プア・リコ・ヴァイ・ホオラのダンサーのアリサちゃんは、
娘のアイナの日本人の親友、私はジュンコ・ママ、アリサちゃん、
アイナを連れて、アリサちゃんの踊る曲を再現するための
旅の案内人をしてきたばかりです。


アリサちゃん、その顔、忘れないで!

ジュンコ・ママはアリサちゃんに、
この‘Awapuhi melemeleでレイを作ってみてほしい、
と願ってましたから、もちろんやってみましたよ〜。


ジュンコ・ママと一緒にレイを作ったアリサちゃん

車のなかにはいつもレイを作るための道具を潜ませている私。
自然と遊ぶ道具、自然から身を守る道具は、
自然のなかを旅するときの必需品と言えるかもしれません。

朝ごはんを食べ、自然のなかを歩き、お腹がすいたら昼ごはん。

そのあとは、泳ぐのが一番ですね。
水着とタオルをどうぞお忘れなく!


魚釣りの邪魔をしたり……


泳いだり!


海が太陽に温められたころに、海でまどろむと、
日々の生活でくるいがちな体内時計が、
地球の時計と合ってきます。

私にとって、旅の醍醐味とは、土地と鼓動を合わせること。

ベトナムのメコン川で、
エジプトのナイル川で、
ヴェネチアの運河で、

水にはいつもその土地の時間と、人々の息吹が
流れていると思えてならないからです。

旅ゴコロを満たすプランは、まずは胃袋をみたし、
体を動かし、体内時間をセットしなおすところから
はじめて見てくださいね。

author : jingujiai
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マウイ島より愛をこめて

【2010.01.01 Friday 07:25

 瞼でシャッターを押せたら、写真が撮れたら、
どんなにいいだろう、と思うことってありませんか?


光をとらえることができるのはカメラだけかも?

生意気ざかりだった20代の前半のころは、
自分の目がカメラだと言わんばかりに、
カメラを持たずに旅に出ていましたが、今考えると、
あのときの写真があったらな、と思うことが結構あります。

なんと言っても、働いた分のお金を
全部旅行につぎ込んでいましたから、
パスポートのページが足りないくらいでした。

もちろん、すべての旅で、
カメラを持ち歩くことができたわけではなく、
仕事のときは、カメラマンの方が一緒だったりするし、
カメラを持ち歩くことを避けたほうがいい場所を旅したことも
多かったのですが。

マウイに引っ越してきてからでしょうか、
小さな撮影の仕事がやってくるようになり、いままでのように
原稿を書くだけでなく、撮影もしなくてはならなくなり、
友人のカメラマンの応援もあって、
カメラを持つことが多くなりました。

なるべく小さなカメラを、シャッター音のしないカメラを、
そしてフラッシュなしで撮るのが好きな私です。


アイナがいない静かな時間を堪能?

こんなに自然な笑顔の子どもが撮れるのはすごいとか、
光を上手に使って撮っているねとか、
編集者の方は言ってくださるのですが、
私が仕事として撮れる写真は、その程度のこと。

お母さんだから子どもの写真を撮るのは慣れていて、
古いデジカメと私のつたない技術からくるボケ具合と、
もともと素敵なハワイの太陽の光が、
上手な照明になっているだけなのです。


寄せてはひく波は、見飽きることがないですね

大晦日の今日、大掃除と仕事の仕度の合間に、
私は瞼のなかの写真たちを、
できる限り思い出そうとしています。

今年ほど涙を流した一年は、私の人生にはありませんでした。

最愛のハーナイ・ママを年のはじめに亡くし、
その後の記憶は途切れています。
数ヶ月の間、生まれてはじめて、
心と体をバラバラに動かすという時間を過ごし、
人間は必要に迫られると、生きる演技ができることも知りました。

夏に自分の心を取り戻す出会いがあり、
また、私らしい人生に軌道修正ができたことは、
今から考えると、ハーナイ・ママであったアンティ・ケアラからの、
贈り物だったのかもしれません。

愛のない人生なんて、愛らしくないよ、って。

瞼の裏の写真たちが、私の頬をぬらすとき、
そっと胸に手をあてて、絶え間ない鼓動を確認する、
そんな癖ができました。

じんわりと温かくなるその心地よさは、私だけの宝物です。

瞼のなかの写真たちを現像したり、データにおとせないのは、
私たちが、愛すべき「人間」という存在だからかもしれません。

全知全能の神さまが作った、馬鹿で、出来損ないで、
どうしようもないところのある「人間」。
でも、人間のもつ限りのある命は、限りなく輝くんだってことを、
神さまは予想していたのでしょうか、していなかったのでしょうか。

日のいずる国では、もう新しい年がはじまりましたね。
地球の動きを感じる、そんなひとときです。


あけましておめでとうございます!

読者の皆さまが、
健康で、幸せいっぱいの新しい年を迎えることができますよう、
マウイ島より、心からお祈り申し上げます。

Aloha nui loa !

author : jingujiai
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冬のお客様

【2009.12.22 Tuesday 14:37

 マウイ島の冬のお客様が続々と到来しております。

先日、日本に行く娘をオアフ島ホノルル空港まで見送りに
行きましたところ、マウイ島もオアフ島も空港は大混雑。
ホノルル空港のJALのチェックイン・カウンターなど、
まるで日本のようでございました〜。

実は、冬のお客様は、世界中から訪れる
観光客のみなさまばかりではありません。

大きいですよ〜。
高さ20メートル以上、速さは時速50キロメートル!


12月7日月曜日、Pe'ahi  photo by Matthew Thayer

JAWSと呼ばれることの多いこの波は、
マウイ島の冬到来を告げる一番手かもしれません。
今年も11月後半、そして12月7日に現われ、
人々の目をくぎづけにしていきました。

このJAWSはマウイ島のノースショア、Pe’ahiの波で、
北カリフォルニアのMarerickやタヒチのTeahupoo、
メキシコなどの南アメリカ大陸のほうでも数箇所ある、
Tow Surfingで挑戦する巨大な波として有名です。



Tow Surfingとは、波に入るときと出るときに、
水上ジェットやヘリコプターなどを使い、
この超巨大な波でサーフィンをしようというもの。
Laird HamiltonやDave Kalamaなどが
このTow Surfingを世界中に有名にしました。
Laird Hamilton, 今回もJAWSにのってますので、
彼のウェブサイトを見てみてください!


12月7日月曜日、Pe'ahi  photo by Ron Dahlquist

日本のプロの方では、唯一、中里尚雄さんが、
サーフィンとウインド・サーフィンの両方で成功しています。

地元のBaldwin High Schoolを卒業した彼は、
世界ランキング5位にまでのぼったプロの生活を一度引退。
しかし、数年後に復帰してさらなる成功を収め、
2003年1月にJAWSにのった数日後
マウイ島でトラックの下敷きになる大きな交通事故にあい、
骨盤の複雑骨折、下半身不随、再起不能を宣告されるなか、
本当に不屈の精神のもと、同じ年の10月に、
このJAWSへの挑戦で再復活した方。

以来、彼が日本に戻ったあともずっと応援しています。
いまは海洋冒険家としても知られていますし、
子ども向けのネイチャー・ワークショップされているんですよ。

女性では、カウアイ島出身の女性プロ・サーファー
Keala KennellyがTahitiで成功していますが、
彼女はBilla Bongの広告で日本でも有名ですね。

私はロング・ボードでジタバタしているくらいの
自分が楽しめる程度のサーフィンしかできないので、
詳しくはないのですが、見ているだけでも楽しいですし、
サーフィンのドキュメンタリー・フィルムを撮影したり、
DJとしても活動しているKeala Kennellyはいつも注目。

あと、雑誌「FIGARO」の撮影以来親しくなったプロ・サーファー、
サーフ・ブランドのRIP CURLのモデルのElise Garrigueも、
かかさずチェックしています!

中里さんとEliseは、仕事をお願いしたこともありますが、
ご本人たち、とても穏やかな方で、
一見、あの尋常ではない波に向かう人のように見えません。
すごいですよ、あの波は、本当に。
津波ですよ、だって……。


海沿いの道が駐車場のように! photo by Amanda Cowan

JAWSとともにアラスカからのお客様もやってきます。
こちらも大きいですよ〜
体重40トン、体長13メートルですから。

Humpback Whale、ザトウクジラです!


in Lahaina

毎年、12月から4月くらいにかけて滞在する彼ら、
アラスカから出産をするために温かいハワイの海へ。
現在、北太平洋地区では1000から1500頭のザトウクジラが
生息しているといわれているのですが、そのうちの6割くらいが
ハワイにやってくるようです。

マウイでは特に南側、比較的、島と島が近いせいでしょうか、
カホオラヴェ島、ラナイ島、モロカイ島などの島々と、
マウイ島の間にたくさんのクジラを見ることができるのです。

アラスカからやってきた妊娠中のクジラのママたちは、
守ってくれる雄クジラたちにエスコートされながら、
海を自由に泳いでいます。そして、出産をし、
一日に500リットルもの母乳を飲む赤ちゃんクジラを育て、
赤ちゃんが十分に大きくなったころ、アラスカに戻っていきます。

戻るときには、また次の赤ちゃんの種をちゃんと植えてから
アラスカに戻ると言われていますから、しっかりしてます。
幸せ家族計画です〜。

このクジラを見るために、ホエール・ウォッチングのツアーが
厳しいルールをしっかり守りながら季節中は開催されますが、
ビーチからも、道沿いからも十分に楽しめますのでご心配なく。
もちろん、道沿いの場合は車を止めてからにしましょうね。


Lahainaに向かうPaliの道沿いから

クジラは最大の哺乳類と言われているほど大きなものですから、
船で近づかなくても、ビーチや道から眺めているだけで
私は十分なのですが、一度、撮影のために小さなゴム・ボートで
クジラに近づいたときには、開いた口がふさがりませんでした。

ツアーなどが使用するエンジンのついている船は、
クジラの100ヤード以内に近づいてはいけないので、
船は大抵レーダーで確認をしながら進みます。
ですから、もしもクジラに近づきたいときは、
エンジンを切って待つというわけです。

私は、撮影のときに、クジラをできるだけ脅かさないように
ゴム・ボートを使ったのですが、この冬のお客様の大きさは
ゴム・ボートの数倍ですからね、感動しますよ〜。

撮影のときも、カメラマンさんが感動のあまり
かなり夢中になっていて、私としてはですね、
カメラマンさんは落ちてもよいけど、
カメラが海に落ちたら困るな〜と、冷や汗でした。(笑)

冬のお客様、とにもかくにも、本当に大きな方ばかり。

あとは、もう一方、私が待ちかねているお客様は、
ハレアカラーの山頂の雪です。

マウイ島に雪?

と思われるかもしれませんが、ハレアカラーは
標高3000メートルの休火山、積もることがあるんですよ。


これは昨年度のもの! 我が家から望遠のカメラで

ハワイの積雪は、ハワイ島のマウナ・ケアなどが有名で、
マウナ・ケア(白い山)に住む雪の女神ポリアフが、
ハワイ島のキラウエア火山に住む女神ペレと戦った話は
フラを踊らない方々でも聞きしに及ぶと思います。

あまり知られていないマウイ島のハレアカラーの
雪の女神の名はリリノエ。

今年はまだお見かけしていませんが、
初日の出を見にハレアカラーにいくとき、
お会いできるとよいのですが!

なんだか島中が、賑わってきました。
やっぱり年の瀬ですものね。

author : jingujiai
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贈る心、愛する心

【2009.12.12 Saturday 13:21

 「師走」とは本当によく言ったもので、
確かに12月は忙しいのであります……。


プロテアのクリスマスリースはマウイならでは!

昨年までの三年間は、
ホテルのディナーショウで踊っていましたから、
ここ数年の12月の過ごし方といえば、前半は、
ホテルからいただく、年に一度の二週間の休暇を満喫し、
後半は、クリスマスも大晦日もなく毎晩ステージ、
昼間は、近隣のホテルやトラベル・エージェントのオフィスなど
数十箇所で、プロモーション・ショウをやっておりました。

それは仕事ですので、忙しくてよいのですが、
12月の声を聞いてまず、私がゾッとしてしまうのは、
異常な交通量の増加、そして無法地帯と化す様々なエリア。

マウイ島はもともと人口約12万人の島、
そして、広さは東京都よりも小さいのです。
そこに、世界中から年間約250000人の観光客が訪れます。

日本からの観光客は直行便がないせいか少ないのですが、
米国本土、カナダ、ヨーロッパからの観光客の多さは、
ハワイ州内の島で二番目に。

特にハイシーズンであるクリスマス前あたりから3月まで、
交通量が増えるとともに、レンタカーによる事故が多発、
どこにいくにも道は一本のマウイ島で事故がおこると、
車のなかに数時間閉じ込められることは間違いなしという惨事。

確かに、事故は車が多ければ起こりやすいものです。
海沿いの道でクジラのジャンプが見えれば目もいくでしょうし、
ここのビーチか、あそこのビーチか、迷いもするでしょうから、
レンタカーの運転速度が変わりやすいことは
住民もよく知っております。

しかーし、

小さな島のなかをどこに急ぐのか知りませんが、
やたらにスピードを出す、とか、

車のクラクションなどは知人への挨拶くらいにしか聞かない島で、
クラクションを鳴らしまくってみたり、

駐車場で隣の車や子どもたちや年配の人たちを気にもせずに、
車を出し入れしてみたり、
(私の車も駐車場でサイド・ミラーをすっかりこすられました!)

信号の少ないこの島で、譲り合いはこれっぽっちもないとか、

目があってもニコリともなく……、ということばかりとなると、

私は片方の眉をあげ、歯をくいしばって運転しているか、
車のなかで「○×☆※△!!!」とぶつぶつ言いながら
運転するはめになるわけです。

ともあれ、

いちいち、キィーーーーーーッとなっていても、
美容に良くないですからね、混雑をさけるに限ります。

というわけで、

私はいつもホリデー・ショッピングは、
12月は中旬前までに終えてしまいまーす。

ホリデー・ショッピングはなんといっても朝イチ!
大手のスーパー・マーケットやショッピング・モールは
12月は24時間営業が多いですし、
営業時間を拡張していますからね。
朝の7時から8時とかに買い物を済ませてしまうのです。


ハワイのサンタクロースさんはブーツを履いてないのです〜

また、私と娘はいつも一緒に
クリスマス&お正月のカードを作ります。
遠くに住んでいる家族や友人たちに
娘の成長を知らせるためにも写真付きのものを選び、
私がカメラマンで娘がモデル、ちょっとした撮影を楽しみます。

私のライターやコーディネーターの仕事に
小さいときからついてきている娘は、「撮影」を知っていまから、
撮影の真似事がしたいわけです。

まず、テーマを決め、スタイリングについて話し合い、
ロケハン(ロケーション・ハンティング/撮影場所探し)も
したりするので、結構毎年楽しいイベントになっています。

ちなみに昨年のテーマは、「日本のお正月」、
マウイ神社で着物を着て撮影をしたりしたのであります。

今回はですね、まだ秘密です!
空色庵のみなさまにも年末にご挨拶をさせていただきますので、
そのときまで、お待ちくださいませ。


モデルさん、準備に時間かかりすぎです

テーマはですね、「トロピカル&ノスタルジック」でした。
ハワイアン・ミュージックのレコードのジャケットや、
昔のレストランのメニューの絵を復興させた絵葉書のシリーズ、
私のもっている写真集などから、選んできめました。

贈り物は何でも、ただ「買う」のではなく、
何か私たちの気持ちを入れられるものを、感謝をこめて、
がお約束。

カードのほかには、キャンディ・レイも作ります。
これは、筒状になっているネットとリボン、
そしてあとはキャンディだけでできてしまう、
持ち歩きもしやすく、長持ちするレイなんですよ。

お花や葉っぱのレイもよいですけれど、
食べられるレイもたまにはよいのでは?



中にいれるキャンディは自由に!
冷蔵庫のなかから無駄なく、という案もよいですし、
クリスマスらしいキャンディ・ケインやバター・スコッチでも。

そして、ネットやリボンの色も選べるので
コーディネートはいろいろ。
キャンディはちょっと、という男性への贈り物のときは、
私はマカデミア・ナッツの小さなパッケージ、
お酒のミニチュア・ボトルなどから、
サーフィン・ボード用ワックス、日焼け止めまで何でも使います。

ネットは伸縮自由で結構大きなものでも入るので、
何でレイを作るか考えるのも楽しい時間です。

日本の御歳暮と同じで、
今年お世話になった皆様への心尽くしなのですが、
レイを作るとは心を紡ぐこと、と言われるように、
同じ想いなのですが、形が変わっているだけです。

ですから、どんなに忙しくても、
娘とこういう時間を持つことだけは、忘れたくないですね。

来週、娘が日本へ旅立ちます!
二歳のとき以来、はじめての日本の冬、
彼女の冒険話が楽しみです。
旅に出すと毎回、
お腹がいたくなるほど笑えるお土産話があるので、
あとでおすそ分けいたします。
みなさまもどうぞお楽しみに。


author : jingujiai
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神宮寺 愛
writer & coordinator
(J.U.One Corporation)
'ōlapa(Pā'ū O Hi'iaka)
@ Maui, Hawaii