HULA to live | 愛しいカンケイ
続けることの魅力

【2010.11.25 Thursday 06:05
 日、月、年の巡り、
どれも大切なものではありますけれど、
年の巡りほど目に見えやすいものはありません。

はい、去年も同じころに書かせていただいた、
Hula O Na Keiki、マウイ島で行われる
子どものためのソロ部門のフラの競技会、
無事に今年も終了いたしました。

去年、レポート形式に書かせていただいたので、
今年はさらっと、年の巡りの確認程度ですが、
私はなんともうれしいのです。
というのも、空色庵で一年を確認できたのですから!


アウアナ(現代のフラ)の出番を待つ間に!
今年はハワイの青空をテーマにした衣装


わかりやすいのは大人の成長ではなく、
子どもの成長、ということで、
去年の写真とくらべてみてくださいね。

今年もハルノちゃん、がんばりました。
ハワイ語を流暢に話すハワイの子どもたちに囲まれて、
オリ(詠唱)部門で一位と一点差の二位!
大健闘でした。

去年の経験をいかす、という点では、
私たち大人も、子どもたちも最高得点だったと思います。

娘のアイナも、また応援にひとふんばり、
応援しているのに、私に説教されることもありましたが、
物事なんでも経験、経験、
彼女のまわりにある物事を全部積極的に受け入れて
ぐんぐん成長していってほしいもの。
そうあってくれれば、ママの私もなぜか男泣きです。


アイナとフラシスターで親友、そしてクム・フラとなったカウイの娘たち
去年は現在9ヶ月のベイビーはいませんでした!

今回、この競技会は20周年でした。

20年とは、この競技会で
ミス&ミスター・フラ・オ・ナー・ケイキとなった子どもたちが
クム・フラとなってハーラウを率い、
またこの競技会に参加するということがかなうわけです。

昨年、じっくり書かせていただいたので、
読者のみなさま、きっと、
競技会って、ただ出場するだけではなくって、
何十人もの人の手によって、
一年ほどの月日をかけて仕上げるプロジェクトであることは
なんとなく感じていただいていると思います。



このパラパライとリコ・レフアのレイも、
私たちのクム・フラであったアンティ・ケアラの生徒であり、
現在はハワイ島のクム・フラ、アンティ・ラニの力作。

クム・フラ、ダンサー、ホオ・パア(詠唱を行う人)、
ミュージシャン、レイの作り手、衣装の作り手、
楽器の作り手、ハーラウのダンサーたち、家族、友人、
競技会に参加するための様々なことをサポートする人々の手作業。

これが、本当に煌めくようなものなんですね。

私は今年、またホオ・パアをさせていただきましたが、
去年の経験を生かすどころか、
去年の経験はどこにいったんだと疑問がわくほど、
新しい経験、学びの連続でした。


私とクム・フラのカウイとジュンコママ

日本にいるジュンコ・ママとのチャンティング(詠唱)は
一人よりも二人の強さを突き詰めるよい体験。

アンティ・ケアラが、私たちにいつも教えたのは、
「一人で踊れる、一人で謡えるように強くなりなさい。
そして、それと同じだけ、
チームの一人として強さを発揮しなさい。
この違う二つのことができる人になれるように努力しなさい」

今回、それが少しはできるようになったかな、と
思っています。(まだまだだけど!)
まずは自分を褒めてからはじめないとね!

私はこれからハワイ島とオアフ島に出張です。
戻ってきたら、師走ですよ〜。

空色庵での年越しの準備していきたいと思ってます。

最後に今回の記念写真をパチリ!



左から、カポノ(今回、私のイプヘケの緊急修理を
快く引き受けてくれました。有名なチャンターなんですよ。
ミュージックを担当した私たちのフラシスター、カウイの従姉妹でもある
カノエのだんなさま)、キモ(ミュージシャン、カウイのだんなさま)、
カノエ(チャンター、ダンサー、ミュージシャン)、ハルノ、アイナ、私、
ジュンコ・ママ、カウイ、レア(カウイのお兄さん、ミュージシャンでダンサー)、
メル(レアのおくさま、ダンサー)、ちびっこはレアとメルの息子のノア
もっともっとたくさんの人が関わりましたが、
まずはご報告までに!







author : jingujiai
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Moments of Hula O Na Keiki final

【2009.12.09 Wednesday 09:00

 11月15日 土曜日

前日の興奮も覚めやらぬまま、
早朝より、袋をかかえて、プルメリアの花を取りに、
あっちにいったり、こっちにいったりの朝でした。

みなさまもきっとご存知のプルメリア、
本日は300個ほど必要です。


これが私の一番好きな種類のプルメリア

300個が多いか少ないかというとですね、
少ないほうですね。
今回は晴乃ちゃん一人分ですから。

実は、プルメリアにもいろいろ種類があります。
花びらの丸めのもの、とがり気味のもの、細いもの、
太めもの、また色も豊富でして、白っぽいもの、
黄色味の強いもの、ピンク色のもの、赤いものなどです。

ですが、私たちが今回使うことになったのは、
ハワイの人々がプルメリアと言ったらコレ!という、
中心が強い黄色で、花びらは白く、花弁の先がとんがったもの。

11月という季節は夏に比べると花が少ないのですが、
なんとか一時間半ほどかけて、花を集め、会場に向かいました。

今日はアウアナ(現代的なフラ)を踊る日ですから、
ミュージシャンも集まってきます。

ウッドベースにパパ・ポキ、
ギターにキモ、ウクレレにレア、ボーカルにカノエ。
土曜日なので子どもたちも朝からいるので賑やかです。


みんなでひとつになってがんばろうね!
ダンサーはいつも、どんなときも、ミュージシャンに助けられます


アウアナの曲は1944年にレナ・マチャドによって
作曲された「Mom」
その時代に合わせた衣装を身につけます。

素材はレーヨン、鮮やかなブルーにハイビスカスの絵柄。
ナー・プア・リコ・ヴァイ・ホオラの衣装担当、
ようこちゃんをチーフに出来上がった衣装は、
晴乃ちゃんにぴったりです。

実はナー・プア・リコ・ヴァイ・ホオラには、
本当にたくさんのアーティストがいるんです。
ようこちゃんもその一人、洋服を美しく作るアーティストで、
ファッション業界のなかで活躍するプロフェッショナル。

ですから、その技ったらありません。
几帳面なアンティ・ケアラの衣装制作で、
何人もがやっと作り終わった衣装をほどかせられ、
はじめから作り直すはめになったことはありましたが、
ようこちゃんも、やさしい笑顔で、一ミリのずれを許しません。

そんなようこちゃんの作った衣装、
どんなに近くにいっても、うっ、美しい! 縫い目がすごい!
衣装をじーーーっと、じーーーっとそばで眺める私は、
晴乃ちゃんに「愛さん、コワイってば」と言われる始末でした。

さて、マダム・ヨウコのメゾンで制作された衣装の次は、
朝、収穫をおえたプルメリアのレイです。

ジュンコ・ママのアイディアで、晴乃ちゃんは、
ママの好きな花、ハイビスカスを衣装に、プルメリアをレイにして、
身につけて踊ることになったのです。

だって、曲は「Mom」ですから!

レイはおへそまでさがるほどの長いレイを二本、
そして、ヘア・スタイリングを担当したカウイが、
晴乃ちゃんの頭に、なんと60個の花をつけました。


カウイの手はまるでアンティの手のように動き
あっという間にこんなに美しいヘアスタイルが!


「曲を感じてごらん!」

練習のときのパパ・ポキのアドバイスが聞こえます。

Mom, I love you, yes I do
Wait for me, Mom, I’ll be home real soon
I never knew how much you meant to me
Now that I’m so many miles away from you
Only God knows when or where we’ll meet again
To hold you in my arms once more
To hear your voice, to see your smile
O God, do please keep my mom

ママは子どもにとって、とっても身近で、絶対的な存在です。
身近でありすぎることから、そしてお互いを愛しすぎることから、
余計な甘えが、余計な期待が、生まれてきます。

作詞、作曲家であり、当時のハワイの歌姫であった
レナ・マチャドは、彼女のコンサートにやってきた女性が、
世界第二次大戦に出兵した息子からの手紙を
見せてくれたことをきっかけに、この曲を作りました。

手紙のなかで、息子は母に言うのです。

お母さん、愛してる、本当に愛してる。
いつも言うこと聞かなかったこと、本当にごめん。
僕はこんなにもお母さんのことを愛していたなんて、
いままで気がつかなかったんだ。
今度、いつか、家に帰れるのなら、必ず言いつけを聞くよ。
お母さんの言いつけどおりに、
ゴミ捨てだって、庭の芝刈りだって、ちゃんとするって約束する。
でも、いまは、僕がいつ家に帰れるのか、
本当に帰ることができるのかわからない。
だから神様、お母さんをどうか守ってください。
僕が帰るときまで。

「ゴミを捨ててきてちょうだい」
「庭の芝を刈ってね」
ハワイでは定番の男の子の仕事を言いつけるお母さんの口癖。
「うるさいな〜」と聞こえないふりをしたり、
なんとかごまかして遊びにでかけようとする息子。

歌はあまりにも私たちのそばにありました。


ジュンコ・ママのしているピカケのレイはカウイから
アンティ・ケアラの一番好きなレイ


私は晴乃ちゃんに言いました。

「私は最後にアンティ・ケアラに、I love youを言ったけど、
そのときにそれが最後になるって思わなかった。
でもそれをそのとき言えて本当によかったって、今は思うよ。
晴乃も、お母さんがいつも晴乃のそばにいて当たり前だって
思ったらいけないよ。お母さんは今、大切にしないと、
気がついたら大切にできなくなっちゃうこともある、
今、I love youって伝えておかないと、
伝えられなくなるときもある。
そんなことが起こらないほうがいいけれど、
起こるかどうか、起こらないかどうかは誰にもわからないじゃない」

学校がお休みの今日は、
客席に晴乃ちゃんのための応援団が増えました。
拍手と歓声が沸きます。

踊り終わってステージの裾に晴乃ちゃんを迎えに行くと、
そこには、アンティ・ベイブが静かに座っていました。

「よくやったね」

アンティ・ベイブはそう言って、私たちを優しい目でじっと見ました。

アンティ・ベイブはアンティ・ケアラの大親友だった
アンクル・カノエアウのお母さんです。

そう、私たちのハーラウ、カノエアウ・ダンス・アカデミーは
彼の名前からきているのです。

だからこそ、私たちにとって、アンティ・ベイブの言葉は、
それだけですべてが報われる意味を持っていました。

来年で二十年を迎えるカノエアウ・ダンス・アカデミーは、
アンティ・ケアラとアンクル・カノエアウとの出会いによって
名前が生まれ、その後まもなく、
アンティがアンクル・カノエアウの最期を看取ったのです。

ステージの裏口から外にでると、
まぶしい太陽が私たちを照らしました。

大きなウッドベースを抱えて、パパ・ポキが歩いてきました。

パパの大きな目は、赤くなり、涙でいっぱいでした。


パパ・ポキとリーレイ

パパ・ポキの孫のリーレイが駆け寄り、
泣いて抱き合うパパ・ポキと私をからかいます。
はい、そうです、年取ると涙もろくなりますね。

晴乃ちゃんはめでたく、
ハワイ語部門で三位を受賞し、お母さんと一緒に帰国しました。

Mom, I love you, yes I do

娘のアイナがいまでもふざけて歌います。
あまりにふざけるので、急ぎ足で行こうとすると、

Wait for me, Mom, I’ll be home real soon

と歌いながら、踊りはじめます。
私が笑いながら、さらに足を早めていくと、後ろのほうで、

O God, do please keep my mom

大声で最後のポーズをとって、ゲラゲラ笑うのです。

なので、私もつい、一緒にふざけて踊ります。

いつか離れ離れになることがあっても、
このときの馬鹿みたいな大笑いが思い出せるように。


Happy Ending !! Always !!

author : jingujiai
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Moments of Hula O Na Keiki vol.5

【2009.12.09 Wednesday 05:55

 11月13日 金曜日

大変、晴乃ちゃん、鼻血です!

みなさん、私が殴ったんじゃないですよ〜。

朝、8時半、会場にて面接を済ませた晴乃ちゃん、
いきなり鼻血がでちゃったんです。

そう、鼻血がでるまでがんばったというわけです。

このフラ・コンペティション、実は大会の最終結果は、
書類25%、面接25%、カヒコの演技25%、
アウアナの演技25%で構成されます。

その面接、なんと9人の審査委員に囲まれて二十分、
踊る曲に対する自分のリサーチを発表し、
質疑応答が行われるのです。

いままで、私も三回ほど、この面接に付き添ったのですが、
過去には、泣き出した子もいました。
子どもは審査委員といわれる大人たち9人に囲まれ、
質問攻めにあうなんてこと、ないですからね。
普通じゃない出来事に反応するに決まっています。

今回、晴乃ちゃんの面接は、
審査委員を泣かせるという結果で終わり、大成功。

私たちのハーラウを知る審査委員の一人が、
「彼女はがんばったんだから、あとで叱り飛ばしちゃだめよ」
と笑ったくらいです。

そういうハーラウだと思われているあたりも笑えますが、
鼻血なんか出したら、まるで真実味が増すではないですか。

さておき、鼻血がおさまったあとは、
会場のカアナパリ・ビーチ・ホテルでゆっくり食事。
さっそく準備にとりかかります。


まだまだ準備中です!

晴乃ちゃんのカヒコの衣装は、
上が濃い茶色で、スカートは黄色です。

フラという踊りは、踊り手が曲を踊りで語る、

それにつきます。

口承文化が長く続いたハワイだからこそ、
謡い、踊り、語り継ぐ文化が成熟したといえるのでしょう。

晴乃ちゃんが踊る曲は、
家族に誕生した新しい命、赤ちゃんをイアオ渓谷の水で
洗い清める伝統的な行事を行う家族の喜びの唄です。

脈々と続く家族、家族の結びつき、そして土地との結びつき、
それはハワイの人々にとっても、私たち日本人にとっても
この世に生まれたなかで一番大切にしなくてはいけないこと。

衣装の濃茶色は大地の色。
そして、オレナという植物で染めたスカートの色は
フラの神様であるラカの色、黄色。

そして、レイを焼いたときの灰を混ぜて作った
茶色の染料で模様を描かれています。


ハーラウのお姉さんたちみんなに手伝ってもらって衣装制作!

広がる地面、イアオ渓谷の山々、渓流に映る山並、
川や滝、お母さんと赤ちゃんをつなぐおへその絵柄が
広がるスカートは、クム・フラのカウイの手で、
晴乃ちゃんの腰にしっかりと結びつけられました。

また、レイもつけていきます。


直前までレイを編むメル

パラパライで作られたレイが、まず、足に、そして手に、
首に、頭に、ずっしりとのり、固く結ばれていきます。

ダンサーに、こうしてフラの女神、ラカが宿っていくのです。

「さあ、行こう」

クム・フラのカウイの声が響きました。

その一瞬、私には、なんとなく、
アンティ・ケアラがいるような気がしたのです。

アンティは控え室から出ることのないクム・フラでした。
彼女はミュージシャンとしてステージにあがるとき以外は、
控え室から出ることはなく、いつも私たちの仕度を整えると、
「いってらっしゃい」と部屋でおくりだすのが常でした。

だから、私たちダンサーをステージに連れて行っていたのは、
いつもカウイだったのです。

晴乃ちゃんを連れて、カウイ、ジュンコ・ママ、メルと
ステージへ向かう風景は、前と何も変わりませんでした。

踊り終えて戻る部屋に、アンティがいないこと以外は……。

きっとカウイはしばらくしたら、アンティのように
私たちを「行ってらっしゃい」と送り出すようになるでしょう。
そのときのための準備を、私はしておかなくてはなりません。



Do what you are supposed to do

それに尽きますね。

晴乃ちゃんは、赤ちゃんであるイプヘケを抱きしめて、
ステージに上っていきました。

私がいままでみた彼女の踊りのなかで、
最高の踊りを、私の目の前でみせてくれました。
そんな彼女を、私は心から誇りに思います。


晴乃お姉ちゃんのために学校が終わってまっすぐに駆けつけたアイナ

author : jingujiai
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Moments of Hula O Na Keiki vol.4

【2009.12.08 Tuesday 12:19

 11月12日 木曜日

前日に何かできると思うことなかれ、
と言われても、つい、というのが私です。

しかし、二十代と三十代という年齢に違いがあるように、
ワタクシも年を重ねて、数字の違いほどではないのですが、
成長をいたしたようでございます。

つまりですね、原稿を締め切り直前まで書き、
(締め切り日にならないと書けず)
出張にいくとなると、空港に向かう車のなかで大奮闘、
(普段の日を同じように起きて海外出張にでかける癖あり)
ミーティングの資料をばら撒きながら走る、
(銀座通りで資料と経費の壱万円札をヒラララ……)
ということはなくなりました。

コホン、やはり、三十の半ばにもなり、
母となると、ですね、
そういうわけにはいかないのです。

さて、晴乃ちゃんのコンペティションの前日、
何をしたかというとですね。
やはり、練習など、ほとんどできないわけです。


前日は静かに、静かに過ぎていく……

ミュージシャンや自分の衣装の手直しをはじめた私でさえ、
「前日に何かできると思うことなかれ」、とミシンに言われ、
ミシンは故障のためにミシン屋さんに……。

明日、晴乃ちゃんは8時半より面接、
9時よりステージでの20分間のリハーサルです。
そして、カヒコ(古典的なフラ)のステージが午後4時ごろ。

前日に皆さんにお知らせしたいことといえば、
晴乃ちゃんのママがマウイ島に到着したこと、
それと、晴乃ちゃん、大好物の冷やし中華をランチに
山盛り食べました、というくらいでしょうか。

「ママが来たら、うれしいね」
「うん、ママが何をもってきてくれるかが楽しみだな〜」
「そうじゃないでしょ、ママが来るのは一番楽しみでしょ」
「うん、まあね〜」
「だったら、そう言いなさいよね。
ママはそういうのがうれしいんだから。
わかったわね!」

私は晴乃ちゃんにとって、たぶん、何でもハッキリ言う、
ちょっとコワイけど、面白いおばさんです。

なので、その立場を利用して何でも言います。


静かに、、静かに、前日の佇まい……

晴乃ちゃんのママは、本当に本当に一生懸命に
子どものことを応援している素敵な女性。
一生懸命には、一生懸命をお返ししたいもの。

そんな晴乃ちゃんのママに、
晴乃ちゃんが自分の照れを理由に、
言わなくてもいいことを言った日には、
間違いなく、私の口と手が飛ぶでしょう。

そういうおばさんが彼女の人生に一人いてもいいでしょうし……、
と言い訳しつつ。

今回、晴乃ちゃんは、カヒコの曲も、
アウアナ(現代的なフラ)の曲も、「ママ」がテーマでした。
晴乃ちゃんが普段の自分とママとの関係を考える
とてもよい機会になったことに違いありません。

前日のママの登場は、何よりもの出来事!
これで明日からの二日間、十分にがんばれることでしょう!


そして、準備万端、いざ!

author : jingujiai
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Moments of Hula O Na Keiki vol.3

【2009.12.01 Tuesday 09:21

 11月10日 火曜日

とうとう、やりました。
そんな日が来ると思っていたのです。

カウイの二番目の娘アウリイが、
イプへケをゴトンとコンクリートの地面に落としたのであります。

筋金入りのホオパア(オリの謡い手)であるカウイが、
長年使っていたお気に入りのもの……。


カウイがはじめてホオパアになったときから使っていたイプヘケ

アンティ・ケアラは、私たちダンサーを、

踊ることができるように、
楽器の演奏ができるように、
歌を歌うことができるように、
オリを謡うことがきるように、
スピーチをすることができるように、
司会をすることができるように、
舞台の上で求められるすべてのことに対応できるように、と、

「エンターテイメント」のできる人間として育ててくれました。

そんななかで、カウイはホオパアとして優れた才能を発揮。
彼女は、ものすごい速さでオリを覚え、
ダンサーのためにイプへケを叩き、謡うことのできるのです。
彼女の声はどんな場所でも、どんなときでも美しく響き渡り、
風や雨が、彼女の謡う詞に呼応します。

そのカウイが、今回の晴乃ちゃんの
カヒコの踊りの練習ががはじまった夏の終わりに、
私にこう言ったのです。

「愛、私のかわりにホオパアをしてほしいの。
いい勉強になるから。
ホオパアとしての経験を積みはじめてほしいの」

そして、自分が長年使っていたイプヘケと、
彼女が高校を卒業するときに贈られた、
名前が刻まれたイプヘケの二つを私に預けていきました。


カウイの娘の一番目のフラリ、いたずらっ子一号
この大きなのはアンティ・ケアラのイプヘケ

私にとっては重いイプヘケでした。
受け取らないという選択肢はないにも関わらず、
すぐに受け取ることのできないほどの重さ。

次の日から、走りはじめました。

娘のアイナが毎日一時間半の水泳のトレーニングをする間、
プールの横のサッカー・フィールドでの、
声を出しながら走るトレーニング。
何かしなくてはいられなかったのです。

このトレーニングは、腹式呼吸をコントロールすることが
できるようになるためのもので、何曲も続けて踊るときや、
歌を歌いながら、オリを謡いながら踊るときなどに
かなり効果がでるものです。


イプヘケを割った張本人はこちら、いたずらっ子二号のアウリイ

今回、晴乃ちゃんは踊る曲を自分で謡いますから、
私がすることといえば、晴乃ちゃんのクム・フラである
ジュンコ・ママと一緒に、彼女を舞台にあげるための
オリとカイを謡い、退かせるためのホイを担当するだけのこと。

それでも、私には一大事。

しかも、一緒にオリを唱えるジュンコ・ママは日本、
晴乃ちゃんも日本、二人がやってきてからの
一日、二日の練習で、二人に合わせられるのか
疑問でいっぱいでした。

それに加えて、頼みのカウイは、これまでただの一度も
私の練習を見ませんでした。

練習を見てほしいな、と頼んでも、
「愛ができるってわかってる。
愛の耳と目がいままでを覚えてるから大丈夫」
の一言でオシマイ。

いままでカウイの声と、彼女の叩きだすイプヘケの音のなかで
安心して踊っていた私が、今度は誰かを踊らせるっていうのに。

ですが、彼女の言うとおり、
できると思わなければ、何もできないですからね。
なんでも、やってみなければ、
できるかどうかなど、わからないですもん。

練習は案の定でした。

音程、速度、発音を合わせるところからはじめ、
カウイから物が飛んできそうなのをよける準備をしつつ、
汗ですべるイプヘケと手が離れないように結びつけた紐が、
指を手首にくい込んで、皮膚はむけるし、アザはできるし、
すっかり縄目をうけてきたような手首になり、やっぱり、
踊ってなくても痛いんだなという再確認。

練習の終わりに、カウイが、
「クム・フラのカポノアイのところにイプヘケを探しに行こうよ」
と言いだしました。

カポノアイ・モリタウはマウイ島のクム・フラで、
私の住むワイルクで、ハワイの文化にちなむ様々なものを売る
セレクトショップ「ネイティブ・インテリジェンス」を営んでいます。
優秀な職人さんによって作られた工芸品をはじめ、
グラフィックデザインが素敵なファッション・アイテムや、
書籍、写真などがお店に並び、ワイルクで一番おすすめのお店。

とても温厚な彼の人柄が伺い知れるのは、
彼の作るイプヘケやレイの美しさ。

「これ、ほら、愛に」

いろいろなイプヘケをさわっていたカウイが
私にそのなかのひとつを差し出します。

「自分のイプヘケを持つときがきたんだと思うよ。
愛は、私のホオパアなんだから」

私の手はもうそれを受け取っていました。

オーナーのカポノアイが横でにっこり。

「僕が作ったイプヘケを持つ人たち全員に、
イプヘケに名前をつけてもらっているんだ。
だから、この今日の夜、明日の朝くらいまでに、
きっと名前が思い浮かぶと思うから、気をつけていてね。
そして、名前が決まったら、教えにきてね」と。

ひいーーーーっ、眠れるかなぁ。


イプヘケちゃん、いらっしゃーい!

**********

11月11日 水曜日

この日は晴乃ちゃんの最後のカヒコの練習日。


こんなに離れても聞こえるくらいの大きな声でオリを言えるように!と
晴乃ちゃん、厳しい練習にがんばります!


13日と14日が本番ですから、
明日はレイを作ったり、衣装やヘアスタイルの最終調整など、
踊りの練習ではない準備があるのです。

眠れるかどうか、心配したわりに、
気絶するように寝ていたようでありまして、
夢に命名の神さまがでてきたかどうかも覚えていない私。

しかしおかげで、頭のなかだけは冴え渡っています。

私がこのイプヘケにどのように生きてほしいか。
私との出会い、縁、そしてこれから。

私をダンサーに育ててくれたクム・フラ、
ハーナイ・ママであった最愛の人、アンティ・ケアラ。

私とフラを出会わせてくれたハーナイ・ママ、
溢れるほどの愛情を注ぎ込んでくれるジュンコ・ママ。

尊敬するダンサーであり、親友であり、妹でもある
私のクム・フラ、カウイ。

この三人に共通していることは、
彼らが「純粋」であることです。

生きることに純粋であること。
純粋であることが、彼らの原点。
その原点が生きる強さ。

イプヘケをたぐり寄せて、静かに抱きしめると、
心がどんどん穏やかになっていきます。



Ka ma’ema’e o ka lani
(カ・マエマエ・オ・カ・ラニ)

天上の清らかさ、生粋の存在を意味する名前を贈りました。

名は体を表わす、とは、日本もハワイも同じようです。
私も、自分の名前が、何がどうあれ、
自分の生き方に強く影響しています。

ですから、名づけ親となり、パートナーとなった私が、
イプヘケにひとつの運命を渡したのかもしれません。

あとは、集中あるのみ。
日々の練習をもって、舞台にあがることが仕事。
そのときに合わせて、自分を調整していくだけです。

さて、明日はついに前日!

author : jingujiai
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Moments of Hula O Na Keiki vol.2

【2009.11.25 Wednesday 15:12

 11月8日 日曜日

日曜日の朝一番にしたことと言えば、
夜の雨で水かさの増えた渓流を泳いで渡ること。

マウイ島の西側の山、マウナ・カハラヴァイ、
ウエスト・マウンテンと呼ばれることの多いこの山は、
世界有数の降雨量を誇るカウアイ島のワイアレアレの次に
ハワイ州内で雨の多い山岳地域。
マウナ・カハラヴァイに深く刻まれたイアオ渓谷は、
ナー・ヴァイ・エハーというマウイ島の大きな水源です。

そのイアオ渓谷に朝六時半。
カウイの一番上のお兄ちゃんであるBJを先頭に、
私、晴乃ちゃん、ジュンコ・ママ、キモが続きます。

私が後ろに三人隠れることができるほどの巨漢のBJ、
実はレイを作らせればハーラウで一番のレイ・メーカー。
本日は、晴乃ちゃんのレイを作るためのパラパライという葉を
イアオ渓谷にいただきに参ったのであります。


川に入るためカメラはお留守番となったため、
山の写真はないのですけれど、これがパラパライです!


実家が山梨県のワタクシ、渓流釣りが大好きだった祖父に
たっぷり仕込まれておりまして、山や渓流歩きは慣れっこ、
大きな体なのにかなり素早いBJのあとに続きます。

渓流の水かさは雨で増え、かなりの水量でしたが、
いつも泳いでいるあたりを渡ることになったので、
私は流れをみながら、思いっきり泳ぎました。

コンペティションに出場する晴乃ちゃんが流れていっちゃうと
大変なことですから、流れの真ん中に立ちはだかったBJが
晴乃ちゃんをつかんでひっぱります。

その後ろで、ジュンコ・ママが、
「あんたたち、私はこう見えてもアンティ・ケアラと
同じ年なのよ!」とこういうときばかり、年齢を主張。

ようやく川を渡りきり、森の入り口のようなあたりで、
山に入ることを許してもらえるようにオリ(詞)を唱えます。

山は静かに私たちに耳を澄ましています。
山の返事を待っていると、風が背中をそよぎはじめました。
それを合図に、静かに山のなかへ。

晴乃ちゃんのカヒコ(古典的なフラ)の課題曲は、
He mele ‘au‘au no Kahailihauwelo
(へ・メレ・アウアウ・ノ・カハイリハウヴェロ)

この曲は今年メリー・モナークというポリネシア最大の
フラコンペティションのソロ部門で優勝を果たした
ヘノヘア・カーネとオララニ・コアが書いた曲。

ヘノヘアの家族の慣わしである、
イアオ渓谷での産湯のことを書き綴ったもので、
受け継がれていく伝統、世代、家族の繋がりを示す、
とても心の温まる詞です。

この曲を踊るときに身につけるレイはイアオ渓谷の植物を、と
私たちはパラパライを取りに行ったのです。

レイは踊り手の体の一部、
そして、レイはフラの女神であるラカの身体。


頭にのせるレイは、レイ・ポオ
晴乃ちゃんにちょうどよい大きさに仕上げていきます

BJの後ろでは、歩いている途中あまり前が見えないのですが、
数十分渓流沿いに山を登り、かなり渓谷の奥に来たあたりで
ふと前をみると、パラパライが広がっていました。

BJが今度はレイのためにパラパライを取らせてもらうことを
お願いするためのオリを唱えはじめます。

パラパライを根元から左手で摘み、右手へ。
静かに、静かに。

必要な分だけを握りしめる私たちの横で、
BJがティーリーフという葉でホオクプを作っています。
私たちからの山へのお礼です。

今度はそろそろと山を下りはじめました。
決して後ろを振りかえってはいけません。
後ろを気にすることによって、
山に住む精霊が私たちについてきてしまうからです。
山に住む精霊は山が住処、
私たちは私たちの家に戻らなくては。

途中、BJが穴に落ち、私たちの視界から突然消えたときは、
驚いて声もでませんでしたが、
また川を泳ぎ、そのときにパラパライの葉束も洗い、
五人組は無事、もとの川岸へ。


BJとメル、おしどり夫婦です〜!メルもダンサー、カウアイ島出身で、
ジュンコ・ママをサポートするために、日本に行ってくれました!

夜明けの川の水は冷たく、身体はすっかり冷えましたが、
心と身体が清められたようで、気分はすっきり。

アンティ・ケアラの家で、温かい朝ごはんを作って
待っていてくれるカウイのところへ車を走らせます。
カウイはお腹に三人目の赤ちゃんがいるので、
山には入りませんでした。


おしどり夫婦2号 キモとカウイ
カウイはアンティ・ケアラの遺志を引き継いでクム・フラになりました

さて、今日も一日練習です。

**********

11月9日 月曜日

カヒコ(古典的なフラ)の曲の練習がはじまりました。

晴乃ちゃんは、曲をフラ・ノホで踊ります。
フラ・ノホとは、座って踊るフラ。

大昔、座って踊ればいいと聞いて喜んだ私は、
数分後に頭が上がらないほどガックリ落ちこみ、
数十分後には膝と足の甲から血がにじみ、
アンティ・ケアラの家からトボトボと帰り、
家に帰った途端、あまりの体の痛さに
「絶対もうやりたくない!」と怒ったものです。

そんな私にくらべれば、
晴乃ちゃんはなんていい子なんでしょう!


練習風景

膝小僧は肩膝に二人ずつ、そして、
足の甲がかかとのような皮膚になっている人を見かけたら、
その人はフラ・ノホを踊れる人だと思って間違いありません。

フラダンサーといえば、ナイスな体形を思い浮かべる方、
それは素敵な勘違い。
(できれば私も勘違いしていたいのですが)

もし、ナイスな体形だとしたら、それは、
体をしっかり使っていないか、フラをはじめて間もないダンサー、
もしくはナイスな体形を売りにしてお仕事しているダンサーですね。

残念なことに、ワタクシ、何年も前に、
すっきりスリムなストレートのジーンズや
美脚が見せどころのスカートとはお別れとなりました。

さておき、フラ・ノホとは、正座をしているかのように座ったまま、
膝から上は立って踊っているときと同じように踊る、
とても難しい踊りのスタイル。

それに加え、今回、晴乃ちゃんは、
He mele ‘au‘au no Kahailihauweloという曲のなかに
登場する赤ちゃんを視覚的に見せて伝えるために、
小さなイプへケ(瓢箪で作られた楽器)を赤ちゃんに例えて使い、
それを叩いて、謡いながら踊るのです。


左端が晴乃ちゃんの使うイプへケ
真ん中が私ので、右端がジュンコ・ママのもの


通常、カヒコを踊るときは、ダンサーのために、
ホオパアと呼ばれる謡い手がイプへケやパフ
(ココナッツの木をくりぬき、鮫か豚の皮を張ったドラム)
を叩きながら謡うのですが、今回、晴乃ちゃんはその両方を
自分ひとりでするという大きな挑戦に取り組みました。

そして、正式な場所で踊るとき、
踊り手は勝手に踊りだすことはできません。

まずは、踊る前にオリ(詞)を謡います。
オリは、踊る曲と関連のある詞であるときもあれば、
踊り手の出生をあらわす詞であるときもあり、
踊り手や曲と強い結びつきのあるものが選ばれるのです。

オリのあとは、カイといって、
「はじまり」を表現した詞がホオパアによって謡われ、
ダンサーは詞の内容と同じように「はじまり」を踊ります。

ハワイの人々にとって、「はじまり」とは日の出。
東から昇る太陽のことを表現した詞によって、
ホオパアとダンサーは踊りのはじまりを人々に告げ、
ホオパアによって謡われるカイを踊りながら、
ダンサーは踊るべき場所に導かれていくのです。

「はじまり」があれば、「終わり」もあります。

ホイと呼ばれる「終わり」は、カイと同様にホオパアによって
西に沈む太陽が謡われ、ダンサーは踊りながら退いていきます。

アンティ・ケアラは子どもたちによくこう言いました。

「勝手に来て、自分のしたいことだけをして、
知らん顔して去っていく人は、ハワイアンではありません」

そして、アイナのほうを向いて、
「日本人でもありません」と付け加えていました。

1970年代から日本とハワイを行き来していたアンティは、
日本のこともよく知っていたのです。

アンティ・ケアラは、カイとホイの意味を
深く私たちに遺していきました。

「はじまり」があり、「終わり」があること。



それを今こそ、太陽とともに意識していかないといけないのは、
私たち自身なのだと思わざるを得ません。

ダンサーとして、ホオパアとして、
体や声で体感し、身に刻むことができるのは、
幸運なことです。

晴乃ちゃん、あと三日だよ! がんばれ!

author : jingujiai
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Moments of Hula O Na Keiki vol.1

【2009.11.23 Monday 14:18

産む喜びや苦しみに似ているかもしれない。

コンペティションの終わりにそんなことを思いました。


コンペティションのあとに残ったマイレのレイとヒナヒナ

赤ちゃんが十ヶ月十日、お腹のなかにいるように、
コンペティションの準備も一年から半年かけて行われます。
毎晩のステージや、公演で踊ることとは、
やはり随分と違うものなのです。

フラのコンペティションの準備といったら、
踊りの練習のみと思われる方も多いと思いますが、
踊りの練習は、全体の準備のなかでは三割程度。
残りの七割のほうが大変なときもあるくらいです。

それを半年以上かけて行うのですから、
いつも赤ちゃんをお腹で育てているのと
同じような気持ちになるのも不思議ではありません。

今回、このブログを通じて、
フラ・ハーラウ『ナー・プア・リコ・ヴァイ・ホオラ』を
応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。
皆様にご報告と御礼をかねまして、
数回に分けまして、特別レポートです!

**********

11月6日 金曜日



ナー・プア・リコ・ヴァイ・ホオラのクム・フラ、
私のハーナイ・ママでもあるジュンコ・ママ
寺山晴乃ちゃんがマウイ島に到着しました。

この日まで、ジュンコ・ママのもと、晴乃ちゃんは
家族に見守られながら、毎日厳しい練習を続けてきたのです。
家族とは、お父さんとお母さんだけではありません。
ナー・プア・リコ・ヴァイ・ホオラという一つの家族が
彼女の出場を支えているのです。

クム・フラのジュンコ・ママを中心に、コンペティション用の練習、
渡航費を含む必要な経費をファンドレイジング、
衣装制作に奔走などなど、それらはすべて、
ナー・プア・リコ・ヴァイ・ホオラという家族が行います。

そして、日本の妹、ナー・プア・リコ・ヴァイ・ホオラのため、
姉であるマウイ島のカノエアウ・ダンス・アカデミーは、
ジュンコ・ママをサポート。
日本とマウイを往復するだけではなく、
文明の機器は何でも使って、練習と準備をしてきました。

Family is there for you, no matter what
というのが口癖のアンティ・ケアラを失くして以来はじめての、
マウイ島でのコンペティションの幕開けというわけです。

11歳の晴乃ちゃん、到着早々、床でお昼寝。

「晴乃とプールに行きたいよ〜」
という娘のアイナの腕をしっかりつかんだ愛ママ、
「今回のアイナの役目は何?」と確認。

「……晴乃を助けてあげること」

「そのとおり」

やるべきことをおやり、というわけで、
娘は時差ぼけで床で大の字の晴乃ちゃんを起こすことなく、
ママに腕をつねられる前に、すごすごと引き上げていきました。

誰かのために我慢すること、
誰かのことを真剣に思いやることは大事です。

アイナは今回、晴乃ちゃんのサポート役を務めながら、
それを学ぶことでしょう。

通訳をしてあげることもできるでしょう、
場所を案内してあげることもできるでしょう、
一緒にご飯を食べてあげることもできるでしょう、
晴乃ちゃんが苦手な虫を追っぱらうこともできるでしょう。

コンペティション直前の厳しい練習のなかで、
大人は誰も、「晴乃ちゃん、よくがんばったわね」と言いません。
アイナをはじめとする彼女よりも年下の子どもたちが送る、
無邪気な応援が、何よりの励みになることでしょう。

愛ママは、その夜、ジュンコ・ママと二人の子どもたちのために、
腕をふるってディナーを作りました。



その手が、足が、瞳が、体のすべてが、
彼女の物語を描き出す力を持つことを願って!

**********

11月7日 土曜日

練習がはじまりました。

週末である土曜日、平日は仕事で忙しいミュージシャンたちが、
晴乃ちゃんの練習のためにやってきます。

ミュージックなしでは踊ることなどできませんから、
ダンサーにとって、彼らの存在は大切なもの、
いつも感謝と尊敬の気持ちでいっぱいです。

ミュージシャンは、パパ・ポキ、レア、カノエ、キモの四人。

パパ・ポキは68歳、普段はマウイ島のナンバーワンラジオ局、
KPOAのディスク・ジョッキー、そして今も現役のミュージシャン。
パパ・ポキの娘も孫もアンティ・ケアラのダンサーで、
ハーナイされていましたから、私たちは敬意をこめて、
「パパ・ポキ(ポキおじいちゃん)」と呼びます。

アンティの遺志を引き継いでクム・フラとなったカウイの、
お兄さんがレア、従姉妹がカノエ、夫がキモ。


レア、カノエ、キモ、全員ダンサーでもあるんですよ〜

誇るべきは、彼らが全員、私たちのファミリーであること。
ミュージシャンがハーラウにいることは、
生きた音楽がいつでも存在するということ、
ハーラウの鼓動でもあります。

ウクレレのみであろうとも、フル・バンドであろうとも、
生演奏で踊ることは、私にとって至福の時間。
、生きた音楽との一体感は、
デジタルな音楽を一瞬にして無価値なものに変えます。

ですが、生演奏で踊ることは、慣れが必要。
ミュージシャンと息を合わせることを覚えることが大切なのです。

「どんな気持ちかな?」

パパ・ポキが踊り終わった晴乃ちゃんに聞きました。

「う〜ん、……う〜ん、…………う〜ん」

晴乃ちゃんは自分の気持ちを言葉にするのが大変な様子で、
じっくりと考え込んでいます。

よいことです。

生の音楽が、練習で使うレコーディングされたものと
違うことを気がついたという証拠です。

パパ・ポキは、「気持ちがよくなるまで練習しようね」と
何度も、何度も、何度も、演奏してくれました。

「音楽は感じるものだよ。フラも感じるもの。
頭や体で教わった通りに動くんじゃないんだよ」

晴乃ちゃんより少し年上の孫のいるパパ・ポキは、
根気よく、やさしく、問いかけていきます。

コンペティションには、選曲のルールがあります。
晴乃ちゃんの参加するHula O Na Keikiの、
今年度のアウアナ(現在的なフラ)の選曲ルールは、
ハワイの作曲家によってかかれた英語の歌詞の曲であること、
1939年から1959年の間に発表されたものであることでした。

1900年代の初め、ハワイでは外国からの影響を受けて作られる
ハパ・ハオレ・ミュージックが一世を風靡。
ハパ(半分)、ハオレ(外国人)、つまりハワイアン・ソングと
外国からの新しい音楽が合わさったものが大流行したのです。

ハパ・ハオレ・ソングの定番といえば、
「ブルー・ハワイ」「ラブリー・フラ・ハンズ」など、
みなさんも聞いたことがあるかもしれません。
ノスタルジックなムードのハワイアン・ソングは、
今のハワイアン・ミュージックとはまた違った趣の、
時代を感じさせてくれる音楽。

ジュンコ・ママは今回の晴乃ちゃんの曲に、
レナ・マチャドの作った「Mom」を選びました。

第二次世界大戦に出征した若い兵士が、
お母さんに宛てて書いた手紙を元に書かれた曲。

この曲を通じて、みんながお母さんに、
「I love you」を伝えることができるように。

晴乃ちゃんの踊りに、この数日で
最後の磨きがかかることでしょう。
ピカピカの笑顔をMomに送るために。


晴乃ちゃんの練習の間、子どもたちの面倒をみるのもアイナの仕事

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ロノからの贈り物

【2009.10.30 Friday 08:03

 「ロノが見えるね」

車を走らせていると娘がそう言いました。
マウイ島の東の山、ハレアカラの裾野に雨雲がかかり、
雨を降っているのが見えたのです。

ロノとは、マカヒキの季節にやってくる神様のこと。

マカヒキとは10月の半ばごろから、2月の半ばまで、
つまり収穫の季節から、次の耕作のはじまりまでの期間です。

このマカヒキの季節、海の向こうからやってくる
ロノという神様が、雨雲を連れてきて雨を降らせるため、
ハワイは雨季になります。



私はこの時期が大好き。
雨が降り、島全体の緑が鬱蒼としはじめ、
島の鼓動が聞こえるというか……、
植物がぐんと育つ肌ざわりがするというか……、
懐に抱かれているような気分になるのです。

昔のハワイの人々にとって、マカヒキの季節は、
主食であるタロイモを中心に、ウアラ(スイート・ポテト)、
ウル(ブレッド・フルーツ)、豚、魚、
タパという布などをホオクプ(捧げ物)として神様に捧げたり、
酋長にそれらを税として納める季節でもありました。


マカヒキのセレモニーで捧げるホオクプを持つ子どもたち

そして、ロノは平和を象徴する神様でもあり、
この期間は、争いごとは禁止、
そのかわりに、踊りや武術などを競い、腕を磨いていたとか。

ですから、いまでも、マカヒキの季節には、
フラの競技会が開催されたり、アロハ・フェスティバルとして、
ハワイ全島で様々な文化的な催事が行われています。

11月13日、14日に行われるマウイ島のフラ・コンペティション、
フラ・オ・ナー・ケイキもその一環、
フラ・オ・ナー・ケイキ、つまり子どものためのフラの競技会です。

私のフラ・ハーラウ(フラとフラにまつわる伝統を学ぶ場所)、
カノエアウ・ダンス・アカデミーの、
日本の姉妹フラ・ハーラウのダンサーが出場するのです。

カノエアウ・ダンス・アカデミーのクム・フラ(フラを教える先生)、
アンティ・ケアラが、私のハーナイ・ママであったことは
お話したかと思いますが、私にはジュンコ・ママという
もう一人のハーナイ・ママがいます。

ハーナイとは、ハワイに現在も残る養子の習慣。
つまり、私には生みの親とは別に、育ての親である、
ハーナイ・ママが二人。

私を通じて姉妹になったアンティ・ケアラとジュンコ・ママ、
そして、二人のフラ・ハーラウは姉妹になったのです。

日本の東京都中野区にあるジュンコ・ママのハーラウ、
「ナー・プア・リコ・ヴァイ・ホオラ」から、
今回の競技会に出場するのは、11歳の寺山晴乃ちゃん。

このフラ・オ・ナー・ケイキというコンペティションは、
今年に19回目、5歳から12歳までの部門と、
13歳から17歳の部門に別れ、男女両方が参加可能、
カヒコという古典のスタイルと、
アウアナという現代的なスタイルの両方を踊り、
課題曲のリサーチをまとめた書類と面接で総合得点を競います。


    Master Hula O Na Keiki 1995
James Michael Ke'alaolaule'a Broclic Kukona-Pacheco


踊りは、技術や表現のほかに、衣装やレイ、
特にカヒコでは、オリといわれる詠唱も重要視されます。
衣装やレイはほとんど手作りで制作され、
どうしてそのような衣装を作るに至ったのかという理由から、
レイの制作技術までが、ハワイ全島から集まった
9人の審査員によって審査されるのです。

そして、その年のマスター・フラ・オ・ナー・ケイキ、
ミス・フラ・オ・ナー・ケイキを選出するわけですが、
カノエアウ・ダンス・アカデミーは
11人のマスター&ミス・フラ・オ・ナー・ケイキを
輩出している歴史があります。

うれしいことです。
よいことです。

その11人にアンティ・ケアラはいつもこう言っていました。

「入賞なんて全く大事じゃない。
あなたたちが、それを誉められたときに
『ありがとうございます』って頭を下げられるかが大事」

コンペティションという競いを良しとするかどうか、
考えはいろいろあると想いますが、
アンティ・ケアラの言いつけを聞いていなかった
11人のうちの数人は、数時間、外でバケツもって立っているか、
アンティ・ケアラがフライパンもって追いかけていましたから、
全部をひっくるめて、子どもたちにとってとても有意義な
学びの機会だと、私は思っています。


Miss Hula O Na Keiki 1996
Cialyn Thara Kawahineikuliaikaui
Broclic Kukona-Pacheco Brehm


そもそも、コンペティションのとき、競わないといけない相手は、
他のダンサーではありません。
競わないといけない相手は自分自身ですから。

今回、果敢に挑戦をすることを選んだ晴乃ちゃんのために、
二つのハーラウのクムと彼女の両親、
数十人のハーラウのメンバー、
そしてその家族、友人が晴乃ちゃんを支えてきました。

まず、大人たちが必死にならなければ、
子どもは必死になりません。

晴乃ちゃんは、必死になれる素敵な大人たちに恵まれた、
とても恵まれた子どもだと思います。

私がエッセイに、晴乃ちゃんがこのコンペティションに
参加するための経費をつくらなくてはいけないので
ファンド・レイジングをしているとを書いたことや
日本にいる友人に送ったお願いのメールを読んで、
「買うよ」と、気軽に応じてくれた友人、
メールを読んで気にかけてくださった友人に心から感謝します。

ジュンコ・ママは晴乃ちゃんを連れて、
11月6日にマウイに到着します。
いまは、まだ、日本とマウイで慌しく準備が続いていますが、
11月6日からコンペティションまでは毎日練習です。

練習で流れた汗と涙と、みなさんの想いは、絶対に形になります。

本当にどうもありがとう。

*****

『愛しいカンケイ』では、コンペティションに至る模様を
引き続き、実況しようと思っています。
どうぞ、お楽しみに!

***

JFM・ジャパンFMネットワーク『ワールドフラワーネットワーク』
(FM青森・秋田・福島・福井・岐阜・三重・山陰・岡山・広島)
11月4日水曜日午後4時から5分間ほど、
フラワーレポーターとして、マウイ島のことをレポートしました。
WEBラジオはこちらから!

***

グラスのファンド・レイジングは続行中ですので、
吹きガラスのワイン・グラス、タンブラーなどがほしい方は
サンプル写真を送りますので、ご一報くださいませ。

author : jingujiai
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愛しきフラダンサー・ライフ

【2009.10.23 Friday 04:22

 私は、すでに目の前にある、しなくてはいけないことは、
基本的に、どんなことでもするタイプ。

その結果、
「なんでそんなことしたの!?」「最悪!」「危ないよ〜」
と、後々、言われることもあります。

そのような出来事は、
魑魅魍魎の多い業界である出版社勤務時代には、
数限りないのですが、何故かフラダンサーになってからも、
「マウイ島でフラダンサーなんて素敵なご職業ですね」
と、すんなりはいかないようです。

しかし、どんな職業も、
他の人からは想像できないことがあるものです、ハイ。



フラを学んでいるみなさんも、多少のご経験があるかと思います。

葉っぱ一枚、花一輪のために、
木登りやロッククライミングをする羽目になったり、
一瞬にしていままでのボディ・ケアが台無しになったとか、
ダンサーでなくてストリッパーになってしまったとか、
徹夜で衣装作りをしたときに、指と衣装を縫いつけたとか。

「こんなはずではなーい!」という出来事は起こるもの。

私も、舞台から落ちる、迫(せり)にはまる
舞台の袖の壁に激突などの事故的なものから、
汗ですべって、持っていた楽器を観客に投げつけてしまったり、
踊っている最中に酔っ払った観客にからまれ、
つい、からみ返すなどの自己的なものまで、
種類豊富に取り揃えてございます。

さて、今回は、私の体験した、
フラダンサーのフラダンサーらしからぬこと、Best 3を
ご紹介しようかなと思っております。

その一・チャイニーズ・アクロバット
その二・皿回し
その三・ネット販売

ふっふっふ、楽しそうでしょう〜。

まずはその一から解説をいたしましょう。

実は、ワタクシ、中国四千年の歴史を少々。
中国のお祭りには欠かせない、金糸銀糸をまとった、
チャイニーズ・ライオンの前足と後足を踊れるのです。

日本の獅子舞ならともかく、なぜ、中国の獅子舞を?

それは、私が今年の一月までの三年間、
毎晩踊っていたカアナパリ・ビーチ・ホテルの
マジック&フラ・ディナー・ショウでの仕事が発端。

もちろん、チャイニーズ・アクロバットのアクターとして
働いていたのではありません。
古典のフラ、モダンなフラ、合わせて8曲を、
カクテル&ディナー・タイムに踊るフラダンサーでした。

ただ、ショウが、単なるフラ・ショウではなく、
マジック&フラ・ショウだったために、ダンサーは、
マジックを手伝うことにはなっていましたが……。

あるとき、マジシャンがこんなことを言い出しました。
「ハワイは様々な移民文化が融合している、
私たちのショウでもそれを表現しよう!」

そこで、ショウの一幕がチャイニーズ・マジックに変更。
しめしめ、その一幕は一休みできる、と思ったのは
ワタクシの大きな間違いでした。

次の日から、チャイニーズ・アクロバットの練習です。
ダンサーのなかで体重が軽いほうから二人目であった私は、
リフティングされることが可能だったため、
チャイニーズ・ライオンの足になることに。


できれば、日本の獅子舞の練習をしたかったのですが……

アクロバットといっても、足になるのなら、
腰をかがめて小さくなって歩けばいいのかな、と思ったら、
それはまたしても大きな間違い。

日本の獅子舞とは違って、中国の獅子は暴れん坊。
動く速さは数倍早く、舞の間はいつも走っており、表情は豊かで、
間髪をいれずに、横転やら、後足でたちあがって、
前足で飛びかかるなどが定番なのです。

私は、獅子が走るときは、前を見ることのできない後足を担当。
獅子が後足で立ち上がり、前足で飛びかかる仕草のときは、
後足担当者の股下をくぐり、前足になって開脚ジャンプし、
後足に受け止めてもらうというリフティングの技を、
ええ、立派なアクロバットをすることに。

前足になるということは、金銀財宝をくっつけた
巨大な獅子の頭を持ち上げていないとなりません。
後足担当者にリフトしてもらうとはいえども、
彼の両腿や肩から、さらに高く開脚ジャンプをしたとき、
バランスを保つのは並大抵のことではありませんでした。

ジャンプをするときには、私だけの脚力ではなく、
後足担当者が弾みをつけてくれるため、
自分の身長の倍以上の高さまで飛ぶことができるのです。
その高さから、目で見て確認することのできない、
受け止めてくれる腕を頼りに、後足担当者の両腿に着地。
二人のタイミングと息が合うまで、練習あるのみです。


できれば、練習の合間には休みたいのですが……

おまけにチャイニーズ・ライオンは顔で見得を切るそうで、
おめめはパチパチ、口はパクパクと、
頭のなかにある仕掛けの紐を動かさなければなりません。

さすが、中国四千年!と半分自棄になりつつ、
ダンサーのなかでは一番年上なのにとつぶやきつつ……。

ダンサーはステージの上でしなくてはいけないことを、
さっさと何でもやりなさいが常套句のアンティ・ケアラのもと、
ほとんど根性ですね。

この恐ろしい一幕のための練習が続き、
私たちの獅子舞もなかなか見ごたえがでてきて、
ハワイアン・ドラムを叩いていたダンサーが
チャイニーズ・ドラムをすっかりマスターしたころ、
マジシャンと舞台監督が、今度は何を言い出したかといえば、

「う〜ん、皿を回すのもやってもらわないと、時間がかせげないな」

な〜に〜!?!? 皿回し!?!?

そういう口はさっさと閉めて、皿回しの練習開始。
その二、皿回しの術習得へ。

皿を回しながら、踊る、踊る、
なんと三年間の間に皿を落としたのは一回、
皿をはじいて高く飛ばし、棒で受け止めるときに、
棒ではなく顔で受け止めたことは二回のみ。
おでこに青あざ二回で済みました。
かなり優秀な皿回しでございます。


日本にいたら間違いなく宴会芸として役立つかも!

体が痛いことこのうえないのですが、うれしいことに、
チャイニーズ・ライオンも皿回しも娘に大好評で、
「大きくなってフラダンサーになったら、
ライオンと皿回しやる!」と言っておりました。

なんでもやる気があるというのはよいことです。

さて、体力勝負だけかと思いましたら、
最近はネット販売業もしております。

その三、ネット販売業に至った理由は簡単。
ハワイのほとんどのフラ・ハーラウはお金がないからです。
(フラ・ハーラウはフラとそれにともなった文化を学ぶところ)

ダンサーはショウで踊ることで報酬が発生しますが、
それはダンサーに支払われる個人収入です。
もちろん、フラ・ハーラウに仕事の依頼が入り
収入がハーラウの運営に当てられることはありますが、
ほとんどのハーラウはことあるたびに、
「ファンドレイジング(募金活動)」を行うのが普通。

たとえば、フラのコンペティションに出場する場合、
フラを学ぶための研修に行く場合など、
必ず、ファンドレイジングが必要になります。

実は、私たちは現在ファンドレイジングの真っ最中。

私の所属するカノエアウ・ダンス・アカデミーの
日本の姉妹ハーラウ、ナー・プア・リコ・ヴァイ・ホオラが、
来月、マウイ島で開催される、
子どものフラのコンペティションに出場するため、
彼らの必要経費を集めないといけないのです。

お金がないからと言って、あきらめるぐらいなら、
はじめから何もしなければいい、
必要なお金は作りましょう!というわけです。

とにかく、何でも売るしかありません。

マウイ島では食べ物がよく売れるので、
食べ物を売ることが多いのですが、
今回は日本で売り上げをあげることが目的ですから、
なんと、マルコム・ウォング氏作の吹きガラスを販売中。


Dearingと美味しいお酒を飲みたいものです

マルコム・ウォング氏はナー・プア・リコ・ヴァイ・ホオラの
クム・フラ(フラの先生)のジュンコ・ウォング先生のパートナー、
高額な吹きガラスのアートを寄付してくださいました。
ハワイ大学の芸術学部で吹きガラスを専攻し、
ホノルル・アカデミー・オブ・アーツにも飾られている彼の作品、
私は大好きで、家に飾ってあるくらいなんですよ。

自分が好きなものを売るのは楽しいですからね、
せっせと日本にいる友人たちにメール。
美味しいお酒を飲むにはグラスが肝心と、
セールストークに磨きをかけております。

とはいえ、ライターの仕事以外のパソコン作業は肩こりの原因、
おまけに、結構な作業量。

そこで、これじゃあ私、フラダンサーじゃないみたい!
と叫びそうになっていた私に、
敬愛するカメラマンの永野佳世さんが、こんなメールをくれました。

――オノ・ヨーコの有名な警句がありますよね、

“ひとりで見る夢は夢でしかない。
しかし誰かと見る夢は現実だ”

「じつは、こんな夢を見たんだよね」と
まず隣人に話してみることから始まる物事の、
チャーミングな実例を見せてもらった気がしたのです――

私のしつこいセールスメールにこんなお返事をくださり、
すっかりご機嫌な私。

そう、夢は夢として語られたときから、夢ではなくなり、
現実に向けて歩きだすのである〜、と信じつつ、
本日もフラダンサーをがんばっております!

author : jingujiai
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神宮寺 愛
writer & coordinator
(J.U.One Corporation)
'ōlapa(Pā'ū O Hi'iaka)
@ Maui, Hawaii