SPEAK with aloha | 愛しいカンケイ
みなさまへ

【2014.11.22 Saturday 07:21
空色庵の「愛しい関係」を読んでくださっている皆様!

長い間、更新もできずにこの場をほったらかしにしてしまい、
申し訳ありませんでした。

この機会に、あの機会にと書き出せば、
その度に忙しさに吹き飛ばされていました。

はい、確かに40歳をすぎ、仕事が忙しく、
娘が心身健康にティーンエイジになり、
パートナーをも大変順調でといえば、めでたきこと。
でも、やりっ放しはいけませんね。

確かに、始めあれば、終わりありですので、
終わりを告げたほうがいいのかと思うこともありました。

でも、私のちょっとしつこめな性格が、
引きとどまってしまいました。
始めたときから、変化もしているのだから、
変化をアップデートしていこうと思います。

まず、ワタクシのウェブサイトというものができました。
というのも、仕事はライターだけ、とこだわらりきれない私は、
興味のある様々なことに、ついつい関わり、
すっぽりと深く入り込んでしまうわけです。
すると、じゃあ、どんなことをしてるの?と
興味を持ってくださるお仕事先も多く、
ウェブサイトを持ちなさいと諸先輩、関係各方面につつかれ、
やっと、時間をねじりだして、作ってみました。
とってもシンプルです。
よかったら覗いてみてください。

http://aijinguji.wix.com/ai-jinguji

また、来月から某ウェブサイトでマウイ島を中心に
ハワイの魅力を私の視点からお届けするミニコラムを
担当することになりました。
毎週日本の土曜日に発信しますので、
こちらにも紹介していきたいと思います。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


 
author : jingujiai
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言葉ってスゴイモノ

【2010.04.24 Saturday 07:20

 言葉ってスゴイモノだって気がついたのは
いったい、いつのことでしょう。

覚えているのは、小学校の五年生のとき、
言葉を使って伝えることの面白さにドキドキしたことくらい。

でも、正直、何にドキドキしたのかは定かではなく、
もしかすると、
美術館にある彫刻のように美人なのに、
恐ろしいほど神経質で、
生徒の前で笑顔をみせるのは数えるほどの担任の先生が、
私の書いた四百字ぽっちの母の日の作文に白い歯を見せ、
笑顔で誉めてくれたのがうれしかっただけなのかも。


ともあれ、薔薇のような笑みを浮かべる彫刻に、
わぁっ、きれい!と目を見張ったのと、
「すごくよく書けてる、先生はとても好き、
もっといろんなことを書いたらいいわ」と言ってくれたのを、
ドキドキしながら、ぼぉっと聞いていたのです。



以降、書くことは大好きな私、
生意気盛りの十代のころは、「書くことだけが言葉なんて!」と、
踊ってみたり、歌ってみたり、
思いつくことは何でもやってみました。

本当に何でもが、荒削りな言葉だったように思います。

そして、月日が流れ、
いまも十分に生意気に違いないワタクシは、
子育てとは、自分を見る作業だとひしひしと感じ、
日々痛い目にあっています。

いえいえ、学びをありがたく受け取り、成果として、
自分はあの五年生のときと大して変わらない
という事実に愕然としつつ、
子どもの成長はもとより、
自分の成長に一喜一憂しているわけです。

そんな親ですから、娘にとっての、
「言葉はスゴイモノなんだという発見」
を見逃したくはありません。

言葉は私たち自身。

私たちが、その想いを、魂の存在を伝えるために、
そしてそれらが呼応するために、
言葉があるのだと思っています。

言葉は時に、言語そのものへ、人間の肉体へ、
動へ、静へ、
目で見え、耳で聞こえ、
肌で感じ、舌で味わい、沸き立つ匂いへ
とカタチを変え、肉体の生と死にかかわらず、
伝え続けられていくもの。

抽象的に思われる方もいらっしゃるかもしれませんので、
ちょっと具体的に、言葉のカタチとして、
もっともわかりやすいかもしれないカタチ、
「言語」を例にとってみましょうね。

みなさんにとって一番身近な言語は日本語でしょう。
私も同じです。

普段の生活のなかで、日本語、英語、ハワイ語を使いますが、
もっとも愛しているのはもちろん母語の日本語。
言葉を自分により近いカタチであらわすためには、
母語であっても、学び続けるべきだと思っています。

地球上にはいろいろな種類の言語があります。
それを考えると、第二、第三と、
できるだけ多くの言語に携わることで、
私たちの言葉は伝わりやすくなり、呼応されやすくもなり、
そこに芽生えるものも増えるに違いありません。

となれば、がんばるぞ、と、
英語とハワイ語に取り組むなか、
不思議なことに、英語はいつまでたっても道具的存在。
くらべて、ハワイ語は少しずつ
愛しき言葉のカタチになってきています。

なぜなのでしょうか。

それは、言語の源である文化への親しみの度合いが
原因のような気がしてなりません。

先日、数日間に渡って、毎日午後3時半から4時半まで、
ハワイ州の教育委員会のオフィスの前で、
私たちはラリーを行いました。



プーナナ・レオ・オ・マウイとクラ・カイアプニ
教師、生徒、父兄、卒業生、関係者などが続々と集まった
この抗議運動は話題になり、新聞、テレビなどに報道され、
抗議をうけた教育委員会が、いま議題を検討中です。

ハワイ州の各島にあるクラ・カイアプニは、
公立の学校に付随し、その運営システムを共用しながら、
OHA(Office of Hawaiian Affairs)という
ハワイ人の人々のための活動を行う事務局や、
クラ・カイアプニの父兄によって運営される
非営利団体ナー・レオ・カーコウとともに、
ハワイ語で子どもたちを教育する機関。

今回の出来事は、クラ・カイアプニが付随している
公立のパーイア小学校が、クラ・カイアプニに入学を希望する
35人の生徒を学校経営や教育委員会の諸事情で、
検討することなく、20人までしか受け入れようとせず、
さらに20人を選ぶために抽選をおこなおうとしたことに
対する厳重な抗議でした。



小さな数字に思う方もいるかもしれませんが、
私たちにとっては大きな数字。

教育委員会のあるワイルクの町の交差点は、人だかり、
ラリーを応援する人の車が一斉にならすクラクションは
ラリーを行った一時間、途切れることはなく、
子どもたちの声、歌、パフ(ドラム)でならす音とともに
町中に響き渡ったのです。





ハワイ語が衰退した大きな原因はいくつかあります。

ひとつは、1778年のジェームズ・クック船長の来航で、
ハワイが西欧文化に発見されたこと。

外来者によってもたらされたのは、先住民の人口、
1778年の推定30万人から、1892年の4万人への激減。
伝染病の猛威、外来者によって1848年に成立された
土地分配法によって経済的基盤を失ったことが主でしょうが、
文化を大きく乱されたことで多くのハワイの人々が
心理的に衰え、家族の絆が引き裂かれたことは
言うまでもありません。

ふたつめは、近代化を急ぎすぎたこと。

これはハワイに限らず、その時代の多くの国で起きた出来事で、
国家を統一することを重視しすぎたために、
有力民族語の教育に意識が行き届いていなかった
という事実です。

みっつめは、1893年にハワイ王国はクーデターによって転覆、
米国によって併合されたという歴史でしょう。

転覆後、ハワイ共和国となったハワイでは、
共和国政府を統率するサンフォード・ドールによって、
1896年に英語が公用語となり、
その後、ハワイ語を教育言語とする学校は全て閉鎖。

ハワイ語を校内で話すものには、
体罰があったという記録もあるほどで、
結果、1983年ごろの調査では
18歳以下でハワイ語が話せる子どもは
約30人程度となってしまっていたのです。

しかし、1970年代にハワイ文化復興運動がはじまり、
その数年後にハワイ語は英語とともに州の公用語へ。
1980年代にはハワイ語で子どもを教育するプログラムが発足し、
プーナナ・レオ、クラ・カイアプニという学校が創立されました。

現在、毎年州内で1500人規模の卒業生を輩出しています。
卒業するには、入学しなくてはならないのですから、
小学校入学への規制は断固防がなくてはなりません。



母語の大切さ、言語の源である文化の重要性は、
日本人である私には、十二分に理解できます。
正しいと思うことをする、何が正しいかを教える、
それが母の務めですからね。

言葉をカタチにするときの、もっとも身近な存在である言語。
そして、言語はただの音声でも、表記でもなく、
源からほとぼしるものであることを、伝えたいと思うのです。



限りある私が、限りある状態しか伝えることのできない
日本語への愛を、
ハワイ語という言語をじっくり学ぶことによって、いつの日か、
「言葉ってスゴイモノじゃない!」って気がついてくれたら、
母はうれしいのであります。

I ka ‘olelo no ke ola, i ka ‘olelo no ka make.

言葉に命を!
命を吹き込まなくては、失ってしまうから!

author : jingujiai
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言の葉に愛をのせて

【2009.09.18 Friday 07:20

 「ハワイ語」と聞いてもピンとこない、
お馴染みでないみなさんに、いつもこんな質問をします!

ハワイといったら、「Aloha」と思い浮かべる、
あの「Aloha」は、英語ですか?



そこでみなさん、「!」「英語じゃないわ?」と
ハワイ語という存在に気がついてくださいます。

ハワイ語は、米国がハワイを併合した1898年より、
教育言語として認められなくなり、
ハワイ語を教育言語とする学校は閉鎖、
教師と生徒はハワイ語の使用禁止、校内にとどまらず、
教育現場が家庭に立ち入っての徹底が行われました。

当時のハワイ経済の状況や歴史の波の大きなうねりが、
ハワイ語を、そしてハワイ語を基本とする踊り、音楽を
飲み込んでいったのです。

しかし、失われる言葉があってよいわけがありません。

1970年代のはじめから、様々な活動が行われ、
1978年にハワイ語は英語とともにハワイ州の公用語となりました。
Kula Kaiapuni(クラ・カイアプニ)は、
ハワイ州内に23箇所にあるハワイ語の学校、
キンダーガーテンから高校までの12年のカリキュラム。
現在、約1500人の生徒がハワイ語で教育を受けています。

今年8歳になった娘の'Ainaは、
Punana Leo O Maui(プーナナ・レオ・オ・マウイ)という
二年制のハワイ語のプリスクールを卒業し、
今は、Kula Kaiapuniの三年生です。



英語で勉強をしないと将来が心配ではない?
日本語とハワイ語と英語を使い分けられる?
どうして小規模なハワイ語の学校を?

唯一の日本人である娘の母へ、
このような質問がやってくるときがありますが、
答えは難しくはありません。

ハワイで生まれ育つ娘が、ハワイ語を学び、
言葉とともに文化を学ぶことは当たり前であること。

私は娘に、日本語とハワイ語を母国語として、
育っていってほしいこと。

大変強い力をもつ英語という言語は、私のなかでは、
広範囲に使うことができるコミュニケーションの道具であって、
米国とキリスト教宣教師によって王朝を転覆させられた
ハワイという場所で、優先して学ぶ言語ではないということ。

それだけです。

私は子育てにたいした自信もないですし、
優秀な母親ではないので、
子どもを育てていくときに、たくさんのことができません。
なので、ほんの少しの大切なものを、
必ず大切にするようにしています。

娘に大切に持っていてほしいのは、
彼女自身が、誰かを、何かを、愛する気持ち。

母親の私ができるのは、
彼女が持っている愛しい気持ちを信じる強さと、
表現する方法を教えること。

一歩を踏み出すときの、一言を発する前の、
背中を押す風になれればと思っているだけなのです。

先日、マウイ島のKula Kaiapuniは20周年を迎えました。
娘の学校では大きなイベントが行われ、
ハワイアンミュージシャン、ダンサーでもある
父兄や卒業生のエンターテイメントや
手作りハワイアンフードで盛りだくさんの一日。



上手に人材を生かす(=人使いが荒い)と、もっぱらの噂の私は、
日本からマウイにくつろぎに来ているマツノリちゃんを、
(もうすぐ空色庵にブログがオープンする松本典子さんです〜)
朝イチから夜まで、80キロのご飯を炊くところから、
テントの撤収まで、付き合わせてしまいました!



「親って、やることいっぱいあるんだね」というマツノリちゃん、
「私もなってみて気がついたけどね」と私。

Ku'u e we, (私のへその緒)
Ku'u piko, (私のおへそ)
Ku'u iwi, (私の骨)
Ku'u koko. (私の血)

母親が子どもを愛する気持ちは、海のように深いもの。



どうか、
愛しいものの背中を、羽ばたく後姿を、
静かに見守ることのできる目、
姿が見えなくなっても、じっと立ち続けることのできる
強い足をください、と、祈りながら。

「Aloha」という言葉を知っているみなさんへ、
私からの本日のAlohaの活用形はこちら!

「Aloha kekahi i kekahi(アロハ・ケカヒ・イ・ケカヒ)」
「愛することは、愛し合うこと」

author : jingujiai
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神宮寺 愛
writer & coordinator
(J.U.One Corporation)
'ōlapa(Pā'ū O Hi'iaka)
@ Maui, Hawaii