ACTION in our life | 愛しいカンケイ
初めよければ!

【2011.01.11 Tuesday 13:17
空色庵で迎える一月!

世界的な観光地であるハワイ、
「ハワイでお正月」は特に珍しい言葉ではないでしょう。
では、実際住んでいる私のお正月はどんな感じか。

大掃除をし、新年のお飾りをピシッと!の
私にとっていつまでも慣れないのは、
クリスマスから新年という「ホリデー」の飾りと
認識されているクリスマスの飾りが、
島中にそのままななこと。

移民の多い島のよいところで、
西欧文化にあたるクリスマスの飾りも、
チャイニーズ・ニューイヤーの爆竹も、
日本のお雑煮に入れる品々も、
みんなで楽しもう〜のモードが満載。

というわけで、クリスマスで盛り上がったあと、
大晦日には町中が煙に覆われるまで爆竹を鳴らし、
お正月にはお雑煮を食べる、というわけです。

ハワイでお正月用の料理のために特別に売られるのは、
まず「水菜」、これはお雑煮用です。
あとは里芋、牛蒡、大根、人参、蓮根などが
お正月用コーナーに並びます。
NISHIMEといえば地元の人の好物なので、
これらはお煮染めになったり、お雑煮に具にも。

さて、我が家は、お雑煮が大好き!
餅つきをしたり、おせち料理を作る年もありますが、
今年は餅つきをする時間もなく大掃除に励んだのと、
料理のプロに、おせち料理を食べに来てねと
ステキなお誘いをいただいていたのを理由に、
お雑煮と豆を煮たのみでした……。

ですので、お雑煮にはさらなる愛情をこめて!



出汁昆布と、まあるい大根と人参、
味のある、角のとれたヒトになれますように!



マウイ島の地鶏はこんがり焼いてからね。
定番の「水菜」、今年は売りきれ前に手に入れました。



当然、餅は丸餅!
つきたてを買いました。

お雑煮は美味い〜。
家族で食べたあとは、フラファミリーの家に鍋を運び、
う〜ん、お雑煮の時間。

と、その後は、当然ビーチ!
クリスマスプレゼントにもらったばかりの水着に着替えて、
海へ、海へ、海へ。

う〜ん、初めよければ、終わりよしな気分。

何がともあれ、幸せな正月を迎えられたことに感謝です。



海に行くときは特に素早い娘はスクーターで……。



お雑煮がまだお腹にいっぱいの私の横で、
砂のアートができあがっていきます。
海ってやっぱりいいね。

兎になる準備をしなくちゃね、
とビーチでまどろみながら、今年の目標の確認。

愛する人たちをたくさん愛すること
書きたいことをしっかり書くこと
いただいた踊りを丁寧に踊ること

を中心にですね、

兎の後ろ足にあるような筋肉をつけて、
瞬発力、脚力のあるオンナでいるぞ、

と誓いました。

がんばります!

日本のように三が日、松の内、と
じっくりお正月がないので、
子どもたちの学校は週明けから。
私の仕事初めも同様。



なので、お正月の週末の後半は、
宿題をしなくてはいけなかったり!

と、やはり、年のはじめは忙しなくはじまるのです。

私の年始の仕事はなんとゴルフ・トーナメントの取材。
ゴルフ、昔は嫌々練習したものですが、
最近、いろいろな影響で、
ゴルフが身近になってきましてですね、
このトーナメントのお仕事、楽しくさせていただきました。
(これは次回ご報告)

ほ〜ら、初めよければ、終わりよしな気分が続きます。

そして、今年のはじまりになんともうれしいのは、
ハワイ州は全島、買い物の際にお店で購入した品物を入れる
プラスティックの袋が禁止になったことです。
(紙の袋は使用されています)

はい、みなさま、買い物バッグ、持参しましょうね!
ハワイ土産に、買い物バッグ、おすすめです。



また、私のフラ・シスターのみさちゃんから、
こんな可愛いクリスマスプレゼントをもらいました。
みさちゃんのお友達が作っている「エコ・たわし」
洗剤なしで食器洗いができます〜



そして、初めよければ、ということで、
お正月の気分を最高に盛り上げてくれたのは、
おせち料理〜。



私が毎晩踊っていたカアナパリビーチホテルの厨房で
今もがんばっている友人のてるちゃんの家で!
(当ホテルで働く日本人は三人だったのでしっかり団結、
てるちゃんが料理上手なので、いまは私が金魚のふん)

よい「初め」です。



娘とハレアカラで初日の出、拝んできました。

私たちが愛するすべて人々の、よき初めを願って!

みなさま、今年も空色庵を
どうぞよろしくお願いいたします。






author : jingujiai
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森へ、森へ、太陽の家のある森へ

【2010.03.30 Tuesday 06:30

太陽の家のある森のなかへ、足を進めていくと……

と聞くと、やわらかいソファに体を沈めて、
布製の背表紙のついた本の、古い紙の匂いのする一ページ目を
読みはじめたような気分になりませんか?

ちょっとみなさまにご無沙汰してしまったワタクシ、
つもる話は山のようにあるのですが、
まずおすそ分けしたいのは、太陽の家のある森の物語。


太陽の家のある森は水を湛えた豊かな森

さて、雲をつかむような話ではあります、
ええ、本当に雲をつかめるほどの高さなのですよ、そこは。

マウイ島のハレアカラー、
ハワイ語では、Hale a ka la(ハレ・ア・カ・ラー)、
ハレとは家、ラーとは太陽、ということで、「太陽の家」。

ハレアカラーはマウイ島の最高峰、Pu'u 'ula'ula(プウ・ウラウラ)
「赤い丘」と呼ばれる頂は10023ft、つまり3055mの標高。
雲を上から見下ろす高さです。

132の島々からなるハワイ諸島のなかの主要8島といえば、
上からカウアイ、ニイハウ、オアフ、モロカイ、ラナイ、
カホオラヴェ、マウイ、ハワイ(ビッグアイランド)をさすようですが、
この順番は実は、島の年齢を上から読みあげたもの。

余談ですけれど、モロカイ、ラナイ、マウイ、カホオラヴェは
地図をみるととても近いのがわかると思いますが、
以前は大きなひとつの島だったことから、
この島々をまとめてマウイ・ヌイ(大きなマウイ)と呼び、
現在のマウイ郡としてひとつのまとまりです。

マウイ島は、いまだに火山活動の激しいハワイ島の次に若い島、
1790年の最後の噴火以降、火山活動は認められず
休火山となり、現在に至っています。

島の名前に唯一、古代の神さまの名前がついているマウイ島、
マーウイという半神の伝説は、
太陽の家ととても深い結びつきがあるのです。

数限りなくあるマーウイの伝説のなかで、
ハレアカラーが登場するのは、マーウイのお母さんの
ヒナ・ア・ケアヒがカパという布を作るときに、
乾かすための時間が足りないから、
ハレアカラーに住むマーウイのおばあちゃんであるマフイエに、
太陽が早く沈まないようにするにはどうしたらいいのかを
相談に行く場面。

マフイエはマーウイに特別な手斧(ちょうな)と縄を渡し、
彼女の家の近くの古いヴィリヴィリの木の根元に隠れ、
噴火口の一番東に太陽が現れたら、縄を投げて
太陽の足を捕まえるように言い渡すのです。

マーウイはおばあちゃんの言った通りにしたので、
太陽に縄をひっかけることができました。
太陽は逃げまどって、海に戻ろうともしましたが、
マーウイは自分が隠れていたヴィリヴィリの木に
縄の反対がわをしっかりと結びつけてしまいます。

そして暴れる太陽と手斧で戦ったのです。
手斧で痛めつけられた太陽の足は弱くなり、
とうとう太陽はマーウイの言うことを聞くことになりました。

ちょっと太陽の足の怪我が心配にはなりますが、
この戦いがなければ、いまのように太陽がしっかりと大地を
照らさなかったのですから、マーウイと太陽に感謝し、
太陽の住む家を居心地のよいものに
しておかないといけないですよね。

その太陽の住む家のある森は、現在国立公園となり、
固有の自然がかなりしっかりと守られています。
私が今回入らせていただいた森も、
国立公園のパーク・レンジャーの同行がなくては
決して入ることのできないエリアなのです。


森のなかは、海のなかに似ています

どうして、私が入ったのかというと、
マウイ・フォレスト・バード・リカバリー・プロジェクトの一環。
固有の植物、動物を育てて森を守ろうという活動です。

ハワイは1778年のイギリス人ジェームズ・クックの来航までは、
人の出入り、物流はカヌーのみで行われていたため、
固有の自然体系や人間を含む動物の生態系が乱れることは
ほとんどなかったのです。

しかし、太平洋の真ん中にあるハワイは、
太平洋を渡って何かをしたい人間たちにとって
好都合な場所にありすぎました。

1778年以降、あらん限りの出来事が起こり、
人と物が行き来するようになり、現在にいたっているのです。
それはまるでバランスを失った天秤のように。

天秤が揺れれば押さえる手が必要、
その手は一本でも多いほうがいい。

そして今回、標高の高い場所にも関わらず、
私たちは子どもたちをつれて入ることにしました。

普段は河口を掃除し、木を植える活動にのみに参加する
クラ・カイアプニの子どもたちに、
太陽の家のある森に暮らす鳥たちを見せてあげたかったのです。

森に入る私たちはまず、衣類や靴をすべてブラシではたきます。
  
森の入り口にたち、全員が輪になって祈り、
森に入ることをお願いするためのチャント(詞)を唱えました。

風と鳥の鳴き声を合図に、森へ。


固有植物の木を植えて強い森に!

約150の固有の鳥類を保護し、
森を守る国立公園のパーク・レンジャーとともに、
プロジェクトが行った植林の成果を確認に向かいます。

この森は人間が持ち込んだ家畜、特に山羊の被害と、
外来種の植物がもたらす害を受けて、
一度はもう植物が育たないかのように思われていました。

しかし、国立公園と、国立公園以前の地主であった
ハレアカラ牧場の努力によって、保護区域を囲むフェンスが
10年もかけて張り巡らされ、家畜の害を防ぐことに成功しました。

そして、その後ハワイ州の森林保護部門やハワイ大学、
そして私たちのような民間団体のもと、
植物、鳥類、昆虫類などをリサーチし、保護し、
手をかけ、森が蘇るのを助けているのです。

特に鳥類は人によって運ばれてきた蚊の被害をうけ、
絶滅品種も数多く、いまも細心の注意がはらわれています。

「I'iwiが鳴いた!」

まるで花のように美しい赤い鳥、I'iwi(イイヴィ)は、
さえずりが、「イイヴィ、イイヴィ」と聞こえるため、
子どもたちはすぐに反応します。

「静かにしていないと、姿が見られないのよ」
「……、……」
「イイヴィ、イイヴィ」
「あ!!」
「しぃーーーっ!」


赤いレフアの花にたたずむI'iwi
(C) JackJeffreyphoto.com

森のなかで静かに佇めば、鳥たちは木々を渡ります。
目を凝らせば、'Akohekohe(アコヘコヘ)も。


スタイリッシュ!?なヘアスタイルですよね
(C) Eric Narashima


アコヘコヘのくちばしの上のふんわりとした羽毛は
蜜を吸うときに花から花へと花粉を運ぶ役目があるとか、
まる蝶や蜂のようですよね。

余談ですが、ハワイの文化のなかで、
鳥は男性を、花は女性を象徴することが多いのです。
ですから、このように花の蜜を吸う鳥が多いことに
うなずいてしまいます。

子どもたちは標高2000メートル以上の高さの山中を
本当によく歩きました。



森のなかを歩きながら、私が想いつづけたのは、
南アに住む、私の姉的存在の友人、
吉村峰子さんの夫、稔さんのことでした。

4月13日、稔さんは亡くなりました。

私を含む、稔さんを知る人々はみな、
彼のことを絶対に死なない人間だ
と思っていたに違いありません。

JICAに勤務し、長年のアフリカ勤務のなかで、
どんな危険な任務も全うし、たくさんの人間の命を守り、
自分も必ず戻ってきた稔さんは、
私が知っている日本人のなかで一番強い人でした。

そんな稔さんに、峰子さんは、
「もうっ、稔は!」とお説教が日常茶飯事。

でも、私からみると、こんなにそっくりな夫婦はいない、
と思えるほどの二人でした。
そして、二人の子どもたち、
息子も、娘も、両親を鏡に映したような存在。

娘のショウコちゃんは、自分もつらいであろう、
お父さんの事故確認の直後、私にすぐ連絡をくれました。

「お父さんは愛ちゃんが本当に好きだったのよ。
だって、お母さんはどんなときだって、
愛ちゃんと話をするとHappyになったから。
お母さんを幸せにしてくれる愛ちゃんに
お父さんはとても感謝していたの」

私は泣きに泣きました。
しかも大声で。

森は私の心中をしっていたかのように、
絞りきった布切れのようになった私の心を
霧雨のような恵みの水でぬらし、洗っていきます。


樹齢1500歳のオヒアの木、
溶岩台地に一番はじめに生える、パイオニア・ツリー


すべての生きとし生けるものが眩いほどの命を見せる、
山や海のなかで、私はいつも目を瞑ります。

すると私の体はまるでアウトラインをなくしたかのように
それらと溶け合っていくのです。

自然の大好きだった稔さんは、
きっとこうやって自分の魂をいつも確認していたんだろうな。

神さまに愛されすぎた、類まれな魂は、
きっと次の任務をまっとうするために、
神さまの瞬きを合図に飛び立っていったのかもしれない。

そう思った途端、胸の痛みは引いていきました。

準備をしなくてはいけない、
姉をHappyにするために。
妹はいつだって、姉を幸せにする、
姉妹は助け合うのが当たり前なのだから。

森をでると、椰子の実がゴロリ。
「稔さんからの差し入れかも」とつぶやく私の横で、
娘は飲みたい、食べたい、で大騒ぎ。



また森にお世話になってしましました。

どうもありがとうの気持ちをこめて、
毎日ひとつ、森への恩返しを
私たちの行動で見せていくこと。

それが我が家の日課です。
 

author : jingujiai
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「ママはDRUGってしたことある?」

【2009.09.29 Tuesday 06:39

 「ママはDRUGってしたことある?」

学校から帰ってきた8歳の娘が、
迎えにいった私の車のなかでこう言いました。

私の頭のなかはこういうとき、クルクルっとまわります。

もちろん彼女は、私に、虫さされの薬をぬったか、
生理痛の薬を飲んだか、と聞いているんじゃありません。
いったい、どこから来たの、この質問?
まずは時間稼ぎに、彼女がもっている情報を話してもらおうと、
仕事でインタビューをするときのように、会話を続けることに。

「学校で誰かがDRUGのことを話してたの?」
と質問を質問で返してみました。

しかし、娘のほうがウワテ。

「あのね、ママ、
アイナはママがDRUGをしたことがあるかを聞いているの。
したことある? ない?」

「……」

「ある? ない?」



私は、あまり器用ではありません。
娘に一年三ヶ月母乳をあげていたときは、
「母親として」という役目を果たしていたと思うのですが、
それ以降は、あまりお役目を全うできておらず、
「母親として」の会話があまり上手ではないのです。

迫りくる娘の問いに、つい、

「ないよ、一度もないよ!
でもね、ママは、見たことはあるよ。
DRUGをしないかって勧められたこともあるよ。
でも、DRUGのせいで苦しんでいる人も見た。
だから、絶対、絶対、DRUGは嫌だと思ってる。
ママはDRUGが大嫌い!」

と、まくしたててしまいました。

語気の強さに、車の端っこに張りついた娘は、
しばらくすると、にじり寄ってきて、

「ママ、ママはすごくえらいね。
世界で一番いいことをしたと思うよ」

と頷きながら、肩をさすってくれました。

私がDRUGが大嫌いであることが伝わったようです。

娘の様子がなんだか可笑しかったのですが、
ここで笑ってはいけません。
真剣、真剣。

そして、さらに娘はこう続けました。

「マウイではね、ICEっていう名前のDRUGが
一番たくさんあって、困っているんだって。
学校にOfficer Dodsが来て教えてくれたの」


Officer Kehau DodsとKula Kaiapuni ma Pa'iaの三年生

Maui Police Department(略称:MPD)では、
各学校を担当するPolice Officerがおり、
娘の学校を担当してくれているのは、
Officer Kehau Dods、みんなの人気者です。

MPDは、D.A.R.E.というプログラムのもと、
子どもたちへの指導を行っています。

D Drug
A  Awareness
R  Resistance
E  Education

Drugの存在を自覚して認識しよう、抵抗しよう、
危険性を教育しようというプログラムです。

日本では芸能界で覚せい剤問題が騒がれていますが、
これは今にはじまった問題ではないように思います。
芸能界というところが、宇宙の遥か彼方ならともかく、
芸能界にある覚せい剤が、私たちの横にないと
誰が言い切れるでしょう。

さて、私たちは知るべきことを知っていますか?

知るべきことを知るのは大切。
すでにあるものを見ないふりはできないのですから。

8歳の娘がいきなりDRUGの話をするのには
驚きましたが、マウイ島のD.A.R.E.のプログラム実施を
目に見たようで、とてもよいことだと思いました。

娘が具体的なDRUGの名前をあげたことや、
そのICEというものはどんな様子で、
どれほど危ないのかということを知っていたことで、
プログラムの内容が具体的であることもわかりました。

ICE、SPEED、CRYSTALと呼ばれる、
Methamphetamineは、習慣性、中毒性の強い合成物質。
脳に興奮をもたらす度合いは、食べ物への興奮を50%、
セックスでの興奮を100%したときに、
コカインは350%、Methamphetamineは1200%と
言われています。

現在、1gのMethamphetamine(略称:Meth)は、
200ドルから250ドルで売られており、
決して手の届かない金額ではないのです。

ここにハワイ州の事実をあげてみますと、

Methの中毒者治療承認数、国内第三位
Methに関連した犯罪数、国内第四位
43億ドルの救急外来費
10年生(高校一年生)におけるMeth利用87%増
(7.3%がMethを利用したことがある)
12歳以上のMeth利用者の数、国内第五位

この事実は消せません。

でも、改善するために努力はできます。


8歳から11歳の子どもたちへのDAREプログラム実施は大切!

いま、子どもたちのなかでとても注目されているのは、
Hawaii Meth Projectの活動。
特にこのプロジェクトのTV、ラジオ広告が流れると、
誰もが心をとめます。

Methによって一度失った人生を取り戻した人や
Methによって家族、恋人を失った人が、
実名で、彼ら自身の姿と声で、語りかけてくるのです。

彼らの告白は、彼らをテレビのなかの人、
ラジオのなかの声だけに思わせない何か、
私たちが彼らを友人として感じさせる何かがあります。


「成長」のシンボル、ウル

私たちは間違いをおこします。
間違いをおこさない人などいないでしょう。

だとしたら、彼らの存在は、
私、私の愛しい誰かになる可能性があると思うのです。

私は娘に話しはじめました。

私と娘がよく知っている、ある女性のことを。
保釈金を集めてその女性を留置場から連れ出し、
Methの治療団体に預けたときのことを。
どれだけの痛みと、どれだけの涙が流れ、
何が失われたかということを。

本当のことを伝える以外に何ができるでしょうか。

できることをする、
毎日はただそれだけのためにあると思うのです。

author : jingujiai
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神宮寺 愛
writer & coordinator
(J.U.One Corporation)
'ōlapa(Pā'ū O Hi'iaka)
@ Maui, Hawaii